サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER

フォトグラファー ヤナガワゴーッ!が撮った激闘の瞬間

posted2018/06/08 10:00

 
フォトグラファー ヤナガワゴーッ!が撮った激闘の瞬間<Number Web> photograph by Go! Yanagawa

text by

ヤナガワゴーッ!

ヤナガワゴーッ!Go! Yanagawa

PROFILE

photograph by

Go! Yanagawa

ワールドカップフランス大会アジア最終予選(東京 国立競技場)

日本 1-1 UAE

 1997年夏、ベルマーレ平塚のクラブハウス。

 ロペス(後の呂比須ワグナー)は、「わざわざ有難うございます」と、両手でボクの手をそっと包み込むような握手で出迎えてくれた。静かにインタビューに答え、物腰もすごく穏やかなのが意外だった。

 それまでのブラジル人の印象と言ったら ジーコ、ドゥンガ、ラモス……ということもあるが(笑)。

 日本への帰化間近についてのやりとりの中で一瞬ロペスの表情がこわばった。

「帰化申請している人はボクの前に300人くらいいます。何年も待たされている人も。いくらボクが日本代表としてプレーすることが夢だからと言って、特別に早く申請を通してもらうことはずっと待っている人たちに申し訳ないと思うのです。だからいまは、帰化できるとは書かないでほしいのです」

 なんて奥ゆかしい人なんだ。と思うと同時に、こういうふうに自身の立場を冷静に見ることができる選手は、きっと大事なときに頼りになるのだろうなと感じた。その後、とんでもなく長いアジア予選が続くとは思いもしなかったけれど。

ヒーロー間違いなしと呂比須を追いかけて。

 最終予選第3戦から日本代表に合流した呂比須は、アウェーのウズベキスタン戦で、0-1の絶体絶命の窮地に陥った岡田ジャパンを救う同点ゴールを終了間際にきめる。次戦1-1で試合後に暴動が起きた国立競技場でのUAE戦でも、開始3分に先制点を挙げている。

 この写真はその試合の時のもの。固くなりがちな日本代表の中にあってただ1人のびのびとプレーしていた気がする。この試合のヒーロー間違いなしと、呂比須ばかり追いかけていた中の1枚。

 次のアウェーの韓国戦でも得点。その後ブラジルの母親が亡くなってもチームに残り、ジョホールバルの歓喜に貢献。

 呂比須なしではフランスワールドカップはなかったと言っていい。

呂比須ワグナー
ジーコ
ドゥンガ
ラモス瑠偉

サッカー日本代表の前後の記事

ページトップ