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男子スピードスケートも凄かった!
小田卓朗、清水宏保以来の快挙とは。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byRyosuke Menju/JMPA
posted2018/03/04 11:30
趣味は「肝試し」と書くなどお茶目な一面もある小田。平昌での健闘を土台に、その度胸で頂点を狙う。
10歳上、憧れのデービスとの戦い。
その言葉通り、3位の韓国選手との差は0秒51。2位のパトリック・ルスト(オランダ)とも0秒58差だった。金メダルのナウシュは断トツだったが、2位以下は混戦。ナウシュと同走するという最高のシチュエーションを得ながら、利点を生かすことができなかったことに歯がみした。
それから10日が過ぎた。1500mから日の開いた2月23日、自身2レース目の登場となった小田はまったく別の表情を見せていた。
男子1000mでも小田は幸運を引き当てていた。同走がシャニー・デービス(米国)だったのだ。2000年代半ば、彗星のように現れたデービスは、抜群のカーブワークを武器に金メダル2つを獲得してきたレジェンドの1人だった。コーナリングの入り口でのコース取りは当時、革命的と言われていた。
小田にとって10歳上のデービスは子供のころからのあこがれであり、目標であり、さらには転機をもたらしてくれた選手だった。
'16年12月のW杯アスタナ大会男子1000m。デービスと初めて同じ組で滑って先着し、自身初のW杯表彰台に上がった。
「自分でも無理じゃないと思ったのがあのレース。僕の転機だった」
1000mでも清水宏保以来となる入賞。
平昌五輪でも小田がリードした。フィニッシュタイムは1分8秒568の好記録で5位。'98年長野五輪で銅メダルを獲得した清水宏保以来の入賞となった。
4位と千分の4秒差、3位とは0秒348差。優勝は1500mとの2冠となったナウシュで、最盛期を過ぎていたデービスも7位と健闘した。
取材エリアにやってきた小田は「悔しいです、やっぱり」と言いながらも、10日前のように涙をこぼすことはなかった。
「想定していた1分8秒頭ならメダル圏内だったのですが、少し足りなかった。コーナリングで出遅れてしまいました。でも、1000mは1500mより難しいと考えていたので、思ったより上の順位でした」
口調が明るかった。