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羽生結弦、連覇と止まらぬ涙の真実。
「良くない右足に、感謝しかない」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTsutomu Kishimoto/JMPA

posted2018/02/17 19:20

羽生結弦、連覇と止まらぬ涙の真実。「良くない右足に、感謝しかない」<Number Web> photograph by Tsutomu Kishimoto/JMPA

1948年サンモリッツ、'52年オスロを連覇したディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。歴史的偉業を達成した羽生。

どのジャンプも、体が覚えていた。

 そうした数字ばかりではない。氷上での4分30秒は、会場の視線を1点に集中させる力にあふれていた。あらゆる技術を磨き、表現という曖昧かつ磨くのも容易くない重要な部分でも、確実に成長を遂げた。

「サルコウもトウループもアクセルも、何年間もやってきているので、覚えていてくれました」

 羽生は言う。長年にわたって技術を磨いてきたからこそ、氷上に戻ってからの期間が短くても、素早く取り戻すことができたのだ。

「本当に大変でした。思っていたよりも」

 だが、それだけではない。

 試合後、羽生は言った。

「足の状況については何も話すつもりはないですけれども、本当に大変でした。思っていたよりも」

「世界選手権については、(出場は)分かりません。右足は良くないと思っています」

 それらの言葉は今なお、怪我が完治しているわけではないこと、決していい状態にはないことを示していた。

 演技が終わったあと、羽生が右足に手をあてたのは「感謝しかないから」だと言う。負傷を乗り越えたといっても、怪我が治ってのことではなかった。怪我を抱えつつ、つきあいつつの演技だった。

 その中でサルコウ、トウループ合わせて果敢に4本の4回転ジャンプに挑んだ。4回転ジャンプばかりではない。いくつものジャンプに挑み、スピン、ステップ、すべてをやり通したのだ。まさにぎりぎりの、紙一重とも言っていいチャレンジだった。

 そのチャレンジに勝利できたのは、氷上に乗れない期間も学術論文に目を通すなど、やれることを探しては全力で取り組んだ姿勢にある。

「誰かに言われてやったわけではないです。自分の強みは、自分で考えて分析して、感覚として氷上に出せることだと思います。それができたということ」

【次ページ】 怪我してよかったとは絶対に……。

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