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下町ボブスレー、五輪挑戦の6年間。
町工場の親父が捧げた匠の技と誇り。
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph byNobuko Kozu
posted2017/07/03 07:30
大田区とジャマイカ。接点がないはずの人々がボブスレーを介して、それぞれの夢を実現させようとしている。
工場減、地域空洞化を脱却するために。
理由には、区内の工場の激減、それに伴う地域の空洞化、近隣の関係が疎遠になることからの脱却がある。
ピーク時の1983年には大田区には町工場が9177社あったが年々減り続け、2014年には3481社と3分の1近くまで減少した。
「大田区が抱えている問題は、日本全体の産業空洞化とともに、町工場が減っていること。隣が廃業するのは、自分の工場が衰退していく兆しです。信頼関係がある工場がなくなれば、自社が受注できる案件が減る。また、区内で出来なくなったためにやむなく塗装や検査を遠方の企業に発注すると、納期も延びてしまう。悪循環だった」と同委員会ジェネラルマネージャーでマテリアル社長、細貝淳一は話していた。
手ぐすねを引いている訳にはいかなかったが、追い打ちをかけるように、2011年東日本大震災が起きた。この震災で仕事がさらに激減した町工場の親父たちは、寄り集まって打開策を見出そうと必死にもがいた。
そのタイミングで大田区の職員が「こういう時こそ地元の連携が大事。みなさんでボブスレーのソリでも作って、町おこししませんか?」と、持ち掛けて来たのだ。 町工場の技術力を生かすのに、ソリは何よりも最適だった。ボブスレーのソリは金属加工技術を生かせるし、複数の工場でタッグを組むことになるからだ。
「自分のところで作れるものの図面を持って行って!」
'11年冬に初会合が開催され、日本代表チームへの採用を目指して開発がスタートした。マシンパーツ提供の約95%は、同区企業が受け持っている。部品作りは切削、塗装、溶接、検査など、専門的技術を持つ企業が連携して行う場合が多い。こうした企業が密集していることが、大田区の強みである。細貝は当時のことをこう話す。
「こんな面白いことやるなら、誰かが手を挙げてやってくれると思った。もしダメでも日本中に製造業の知り合いがいるから、オールジャパンで取り組もうと思った」
最初の会合では、設計図面200枚を広げて「自分のところで作れるものの図面を持って行ってください。ただし皆さん、製作はタダでお願いします!」と、声掛けした。
そしてプロジェクトが発足すると、町工場間で「今から持って行くから急いで削って!」など気軽にやり取りが出来るようになった。また、お互いの仕事内容を共有することができ、「この部品ならこの精度が必要だよな」と、団結力も高まった。