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下町ボブスレー、五輪挑戦の6年間。
町工場の親父が捧げた匠の技と誇り。
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph byNobuko Kozu
posted2017/07/03 07:30
大田区とジャマイカ。接点がないはずの人々がボブスレーを介して、それぞれの夢を実現させようとしている。
何もないところから、モノを作り上げていく。
街の産業がどんどん衰退していくことを、指をくわえて見ている訳にはいかない。この地域の技術力を広く世間に知らしめたい。
「一番のPRってなんだろう」
「オリンピックで使われる道具をみんなで作ったら、これは最大の成果になる」
「オリンピックで使われる何かを作って、子どもたちに『あれは俺が作ったものだ』と、言いたい」
会合ではこのような話し合いを続けてきた。
「私たちの強みは“何もないところから、モノを作り上げていくこと”です」と、細貝は語気を強める。
「フェラーリだって、BMWだって自社で検証コースを持つなど、最高の環境で作り上げてきますが、私たちも決して負けません。“ものづくりのよろずや”なのです。日本のものづくりの強みは、大手メーカーの開発を支える我々のような小さな町工場の技術の集積なのです」
航空宇宙、医療機器への幅広い受注に広げるために。
10号機のボディは、今までで一番の薄型となる。要望に応えて、運転席の開口部を広げたり、振動の軽減のためにボディとフレームの接続部を改良したり、搭載できるウエイトの増大にも対応する。改良ポイントはとどまるところを知らないが、しっかりと対応していく。
このプロジェクトが成功すれば、将来的には世界から航空宇宙関連、医療関連機器の幅広い受注にも繋がっていく。
すでに、2022年の北京冬季五輪を見据えたプロジェクトチームも発足している。チームリーダーも、徐々に若い世代にバトンタッチを進めてもいる。
プロジェクトチームは夢を追うだけでない。
この国の匠の力を、世界に知らしめる重責も担っている。