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下町ボブスレー、五輪挑戦の6年間。
町工場の親父が捧げた匠の技と誇り。 

text by

神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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photograph byNobuko Kozu

posted2017/07/03 07:30

下町ボブスレー、五輪挑戦の6年間。町工場の親父が捧げた匠の技と誇り。<Number Web> photograph by Nobuko Kozu

大田区とジャマイカ。接点がないはずの人々がボブスレーを介して、それぞれの夢を実現させようとしている。

プロジェクトに参加してから仕事が増えたとの声も。

 1号機から参加しているカシワミルボーラ社長、柏良光は切削加工を得意としている。父と弟と3人で工場を営む。美しい流線型のアルミで出来た自社技術PR用の女体像の加工も、磨きではなく切削加工だけで作り上げる屈指の技術力は評判だ。

 柏はブレーキ部分の部品を担当し、ステンレスを加工して製作している。最初にあったパーツの軸の穴を無くすなど、形状も工夫して変えている。

 作業自体は「家の中でも改良点を考えていたりする」ほどのものだ。それでも「図面があれば作ってみたいと思うのが、僕ら町工場の人間。自分の作った部品が、このプロジェクトのパーツになれば最高、と言う気持ちで作っている」と、柏は目を輝かせて語った。

 一方で「プロジェクトには最初から参加したかったのに出来ず、2年前からやっと加わって頑張っています」と話すのは五城熔接工業所の社長、後藤智之だ。溶解・凝固温度が異なる様々な素材同士の溶接は、非常にデリケートで難しいと言うが、高い技術力と独自の感覚でこなしていく。

「プロジェクトに参加してから横のつながりが出来て、プロジェクト以外の仕事でも声をかけてもらえるようになり、仕事も増えた」

 後藤もこの試みにメリットがあったことを認めている。

日本代表からの不採用を告げられてもあきらめずに。

 プロジェクトは大きな変革を区内にもたらした一方、採用までには紆余曲折があった。

 当初五輪を目指して日本代表チームから、2013年11月にソチ五輪での不採用通告が届いた。技術的な改良要望が出され対応を進めたが、スケジュール的に間に合わないだろうということが明示された理由だった。

 プロジェクトチームはその後、連盟の要望通りに改良したソリを作り上げたが、2年後の11月、改めて平昌五輪での不採用となった。 

 この知らせに細貝は「目の前が真っ暗になった」というが、あきらめるわけにはいかなかった。

【次ページ】 ジャマイカの有望株からも信頼を寄せられる。

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