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棚橋弘至と2011年――。
この年、新日本プロレスに何が起きた?
posted2017/04/22 06:30
text by
柳澤健Takeshi Yanagisawa
photograph by
NJPW
倒産寸前だった新日本プロレスを再生させたヒーロー。誰よりも多くIWGPヘビー級のベルトを腰に巻いた真のエース。
それこそが棚橋弘至である。
新日本プロレスを長く支配し続けたのは、アントニオ猪木の“ストロングスタイル”というイデオロギーだった。
しかし、'90年代半ばを過ぎると、UFCとPRIDEに代表されるMMA(=総合格闘技)のムーブメントが、恐るべき勢いで拡大していく。
知名度の高いプロレスラーは打撃、投げ技、関節技のすべてが許される総合格闘技の舞台で敗北を続ける。“プロレスは最強の格闘技である”という猪木の主張は完全に否定された形で証明されてしまった。
地上波テレビはかろうじて中継を続けてくれていたものの、放送時間は深夜であり、子供が見るものではなくなっていた。
新しい観客がプロレスには入ってこない中、レスラーたちは創業者の思想にしがみついた。
新日本プロレスに新たなる価値観を提示したのは棚橋弘至ただひとりだった。
昭和のプロレスファンが嫌がることを、あえてやる。
ストロングスタイルは時代遅れだ。
キャッチーでポップな、会場の全員が盛り上がれるようなわかりやすいプロレスを展開しよう。
だが、そんな棚橋に、古いイデオロギーを忘れられない昭和のプロレスファンは大ブーイングを送った。
棚橋は、彼らが嫌がることをすることに決めた。寡黙でストイックなレスラーではなく、自己陶酔型のチャラいナルシストを演じることにしたのだ。