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五輪メダリスト・奥原希望の勇気と苦悩。
「人生のドラマの主役は私なんです」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySho Tamura/AFLO SPORT
posted2017/03/07 07:00
昨秋のヨネックスオープン、準々決勝での奥原。絶対に諦めないという気持ちで必死に戦ったが、膝が、肩がついてこなかった……。
ケガを乗り越え、世界の頂点を窺う位置に。
苦しい道を選ぶこと――それは、奥原がバドミントンを始めてから、その身に叩き込まれている訓示のようなものだ。
小学生の頃から父・圭永の熱心な指導によって、自然と「甘えた道に行くのが怖い」と思うようになった。
「今日はこれくらいでいいやって思いたくない」
その一心でラケットを振った。高校2年生の2011年に、史上最年少の16歳8カ月で全日本総合を優勝。「スーパー高校生」と、早くからその名が知れ渡った。'13年に左ひざ、'14年には右ひざを手術し「バドミントンをやめよう」と、心が折れかけたこともあった。
奥原は苦難を力に転換できる選手である。
それを証明してみせたのが、'15年のヨネックスオープンでのSS初優勝であり、日本人初となるSSファイナルズ制覇だった。さらに、翌'16年の全英オープンで日本人39年ぶりの優勝。世界ランキングは3位。リオ五輪開催年とあって、必然的に周囲の期待は高まっていく。
メダルを確実視されるのは「怖かったです」。
明確な実績を挙げるようになった高校時代から、「プレッシャーを背負える選手になりたい」と自らを鼓舞してきた。
「金メダル候補」
「メダルは確実」
五輪が近づくにつれ報道は過熱していく。そんな世情に、さすがの奥原も困惑したという。
「スーパーシリーズ12大会とファイナルズ、世界大会って大きな大会は14あるんですけど、私はオリンピックまでの1年間で3回しか優勝していないんです。でも、ランキング上位の選手はもっと優勝しているから、冷静に分析しても金メダル候補ではなかったんです。周りから応援されるのは嬉しいし、もちろん獲りたいけど、『確実』みたいに言われていた時期は怖かったですね」
アスリートとは、常に心身に不安を抱えているものである。奥原もそうだ。リオ五輪では、準々決勝までの3試合をオールストレートで勝利し、準々決勝では山口茜との日本人対決を制した。「最低限」であるメダル圏内に駒を進めた。