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山田直輝の復活を誰よりも願う盟友。
1歳下の原口元気が「早く試合出ろよ!」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/01/30 11:00
ボールテクニック、運動量、そしてひらめきのバランスが山田直輝の中で再構成され始めている。2度目のブレイクの時は近い。
湘南で取り戻した「僕のやるべきプレー」。
しかし、ワールドカップイヤーの2010年1月、AFCアジアカップ予選のイエメン戦で右腓骨骨折。ここから度重なる負傷に苦しめられた。2012年ロンドン五輪でもメンバー入りを有望視されながらケガに泣き、浦和でも継続してピッチに立てないシーズンが続いた。ブンデスリーガに戦いの場を移していく後輩を横目に、苦虫を噛みつぶす日々。それでも、幼い頃からの夢はあきらめたことはなかった。
「日本代表として、ワールドカップに出場する」
2015年。育った浦和を離れ、静かに復活の一歩を踏み出す。湘南で再スタートする選択は、間違っていなかった。サッカーに真摯に取り組み、向上心にあふれるチームの雰囲気に感化された。
「もう一度サッカーを楽しめるようになり、僕のやるべきプレーを思い出させてくれた。自分にとって大きな2年間。人としても成長できたと思う。湘南には感謝しかない」
2017年1月、凍てつく寒さの平塚。冷たい浜風が吹くなかでも、熱っぽく語る言葉には充実感が漂っていた。J2への降格が決まっていても、大きな迷いはなかった。J1クラブからのオファーもあったが、「J2に降格させた責任を感じている。今は1年でJ1に戻すことだけを考えている」ときっぱり。湘南に全身全霊を注ぐことを誓う。昨年の夏以降、ようやく主力となり、リーグ戦11試合に出場。J1最終節では、名古屋グランパスにJ2降格の引導を渡す2ゴールを挙げ、存在感を示した。
「僕はお父さんのプレーを見ることが……」
若手の育成に定評のある曹貴裁監督は、昨季のパフォーマンスに目を細めていた。
「子どもも生まれて、プレーに責任感が出てきた。チームの勝利のために走れるようになった」
2016年8月6日。娘が誕生し、目尻が下がるばかり。本人はプレーへの影響は分からないというが、「子どもには自分がサッカー選手として、活躍する姿を見せたい」と力を込める。自身の経験を重ね、「僕はお父さんのプレーを見ることができなかったから」。