野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
最年少15歳で阪神に指名と、その後。
辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。
text by
酒井俊作(日刊スポーツ)Shunsaku Sakai(Nikkan Sports)
photograph byYoshimasa Miyazaki (Seven Bros.)
posted2016/11/10 07:00
20歳で直面した戦力外から数年。“セカンドキャリア”という意味で、辻本の米国での挑戦は間違いなく財産となっている。
「ダメもとで」レイズの入団テストを受験。
あるいは、もっとも大きな決断だったのかもしれない。野球で印象に残る光景を聞いたとき、ふと思い出したように話が脱線する。
「なんでなんかな……。3000ドルっていうのを、すごく覚えていますね」
大リーグのスカウトは独立リーグでも、逸材に目を光らせる。マウイも、数人がリストアップされた。公式戦終了後、タンパベイ・レイズから監督のもとに、入団テストを打診する一報が入ったことを聞きつけると、辻本の血が騒いだ。
「僕はリストに入ってませんでした。でも『俺もダメもとで見てもらおう』って思って。自分で飛行機代を出して行こうとね。3000ドルだった。前もって予約していたら安いけど急やから。むちゃくちゃ悩んだのを覚えています。どうしよう、このお金……。でも行くしかないよなって」
眠れない夜を過ごした。ベッドで何度も寝返りし、頭の中で反芻する。3000ドル、3000ドル、30万円……。
「ほとんど抱きつきに近い。行けば、あとで何とかなる。向こうで野球をやりたいというより、やれると思った。じゃないと行っていない」
ハワイから飛行機を乗り継いでフロリダへ。機内では一睡もできない。気持ちの高ぶりは抑えられなかった。
初めて投げたシンカーでマイナー契約を獲得。
3000ドルの航空券とともに、バッグに忍ばせていたものがあった。自作の投球DVDだ。マウイでの登板を自ら映像編集し、メジャーのスカウトに配って回った。だが、そんなモノすらしのぐ快投だった。
最速148キロの速球を武器に3者連続三振を奪う。満点のアピールを終えると担当者に呼ばれた。「もう1回、投げろ。シンカーを投げてみろ」。投げたことがない球種だった。開き直って腕を振ると打者のバットをへし折った。シンカーなのに145キロ出ていた。
レイズのスカウトが近づいてきた。
「電話番号を教えろ。お前はマイナーのチームに行かなきゃダメだ。俺が絶対にどこかに入れてやる」
元日本ハムのロブ・デューシーだった。1カ月後、レイズは不合格になったが、ニューヨーク・メッツとのマイナー契約を勝ち取った。'11年2月のことだった。辻本は述懐する。
「もし、フロリダに行っていなかったら、絶対にメッツに入っていなかった。もう1年、ハワイにいた」