野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
最年少15歳で阪神に指名と、その後。
辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。
text by
酒井俊作(日刊スポーツ)Shunsaku Sakai(Nikkan Sports)
photograph byYoshimasa Miyazaki (Seven Bros.)
posted2016/11/10 07:00
20歳で直面した戦力外から数年。“セカンドキャリア”という意味で、辻本の米国での挑戦は間違いなく財産となっている。
ハワイでの野球生活はハングリーそのもの。
キャッチボールでも球速が出るようになった。投げ方が固まれば今度はチーム探しだ。自ら、4月にアリゾナで行われる4つの独立リーグ合同のトライアウトを見つけ、照準を定める。打者2人を中飛、三ゴロに抑え、特筆すべきは球速だった。143キロを計測し、失われていた球威を取り戻した。直後、球場で行われたドラフトで真っ先に名前を呼ばれた。行き先は決まった。ハワイだ。ゴールデンベースボールリーグのマウイから1位指名された。
荒波にもまれた人生は、年輪を幾重にも太くしてくれる。常夏の島では厳しさも味わう。一般家庭でのホームステイ。1カ月1000ドルの薄給だった。貯金を切り崩し、生活費を稼ぐため、イベントを仕切るアルバイトもした。
「毎日がとても不安でした。メシもロクに食えないんです。チームメートが20人以上いるのに、用意されている食事が18個だけ。試合が終わったら、思い切り走ってメシを取りに行ったり。早い者勝ちなんです」
遠い存在だったメジャーが「近く感じました」。
容赦なき戦場だったが、辻本が得たのは阪神時代にはない「自信」だった。
「初めてでした。チームに頼ってもらって、一番いい場面で投げさせてもらえた。人生で初めてケガなく1シーズン、投げられた」
ある日、過去に在籍した選手の噂を耳にした。「あの選手は独立リーグから3Aに行ってメジャーに上がった……」。目線が変われば人生が変わる。辻本は「すごく遠いものが近く感じました」と言う。
マウイでは公式戦32試合に登板して3勝2敗2セーブ、防御率2.88。34回 1/3 で48奪三振が光る。スリークオーターから内角をえぐる速球は威力抜群。直球の最速は151キロまで伸びていた。