野球のぼせもんBACK NUMBER
バカになれるから愛される「KZさん」。
SB川島慶三、負傷をも笑い飛ばして。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/08/18 11:30
長崎県出身、九州国際大学出身ということもあって、加入3年目ながら川島はホークスファンに愛される存在となった。
リハビリ中には恨み節を口にせず、明るく努めた。
「その気持ちは分からなくもないですし、僕もやられたのは悔しいけど、賢介さんもボクもお互いに一生懸命のプレーだった。僕らも、負けている状況ならば、多少激しくいくこともある」
また、田中からは謝罪の言葉とともに、「早く怪我が治るように」とサプリメントの差し入れもあったという。
結局、川島が二軍でも実戦復帰するのには約3カ月を要した。
その間に筑後市の球団リハビリ施設に何度か足を運び、復帰戦の際にも少しゆっくりと話が出来た。やはり川島の口から恨み節が出ることはなかったし、何より明るさを失ったことがなかった。
そして、冒頭のように言ったのだ。
「野球をやりたいという気持ちを常に持ちながら、やるべきことをやっていた。だから時間なんてアッという間に過ぎました。それに、リハビリ生活は何度も経験したし、もっと長いのも」
日本ハム、ヤクルトと渡り歩き、怪我とも戦った。
ファイターズで始まったプロのキャリア。九州国際大学時代にはリーグ戦で本塁打王にも輝いた実績があり、小柄ながらパンチ力のある打撃を売りにしたセンスの高い打者として評判だった。入団1年目のオープン戦では、初打席で場外サヨナラ3ランを放っており、大いに期待もされていた。
しかし、2年目に右肩を故障。力を発揮できずに3年目を前にしてスワローズにトレード移籍となった。ただ、このトレードは、前年までファイターズでGMを務め、この年からスワローズ新監督に就任した高田繁監督が熱望して実現した異例の形だった。移籍初年度の'08年は121試合に出場して20盗塁をマーク。'09年には12本塁打を放つなど潜在能力を開花させようとしていたのだが、'10年には右ひじ手術で1シーズンを丸々棒に振っている。
怪我と戦い、そのたびに打ち勝ってきた。