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竹下佳江が率いる姫路のプロチーム。
彼女が次に壊すのはどの「常識」か。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2016/07/16 08:00
一度現役を離れながら復帰し、2004年には当時日本で唯一のプロ契約選手となった。竹下佳江は常識を越えていく。
子育て中の監督は今までにないケース。
その竹下が結果的に、「やります。力になれるなら」と監督を引き受けたのはなぜだったのか。
「ゼロからのスタートだったから。何もないところから、選手もこれから集めて、一つのものをみんなで作り上げていくというのは、すごく大変なことだけど、やりがいもある。指導というよりも、チームの土台作りというところに興味があるというか、そこが一番大事だなと思ったので。チームとしては最短でV・プレミアで戦えるようになって、トップを獲ろうというのが目標なんですが、ベースがない限りスタートできないですから。
それに、出産して子育てをしながら監督をやるって、今までにないケースなので、そういう意味で働く女性や指導者など、世間にいろいろなメッセージを届けられるんじゃないかなという思いもあって決めました」
選手集めで真っ先に声をかけたのは、やはりセッター。
ただ、いきなり生活を一変させるというわけにはいかない。来年からは姫路に腰を落ち着けることになりそうだが、年内は現在住んでいる広島と姫路を行ったり来たりの生活だ。監督業の間、1歳の長男はベビーシッターに預けることもある。
「そういう環境がチームとして整わない限り私はできません、ということは引き受ける際に言っていました。それはイコール、選手が子供を産んでもプレーできる環境につながると思うので、そこは整えていい形を作りましょう、とやっています」
チームはまず来シーズンのV・チャレンジリーグ2出場を目指し、Vリーグ準加盟の準備を進めている段階だ。
選手もコーチもマネージャーもいないゼロ状態の中、監督として最初の仕事は選手を集めること。竹下監督が真っ先に自ら声をかけたのは、セッターの河合由貴だった。
「やっぱりチームにはセッターが絶対に必要。セッターがしっかりしているチームは成長していける。私は『彼女だ』と思っていたので、お願いしました」
河合は東九州龍谷高3年の時に全日本デビュー。竹下の控えセッターとして18歳で北京五輪に出場し、JTでも竹下とチームメイトだった。しかし'11年に21歳の若さで引退。故郷・大分に帰っていた。