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吉原知子が監督として帰ってきた。
JTを甦らせた流儀はやはり“闘将”。

posted2016/04/14 10:30

 
吉原知子が監督として帰ってきた。JTを甦らせた流儀はやはり“闘将”。<Number Web> photograph by Kyodo News

男社会であるバレーボールの指導者界で、吉原知子監督の存在感は際立つ。監督歴1年での昇格は流石としか言いようがない。

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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Kyodo News

 鮮やかなグリーンのユニフォームをまとうJTマーヴェラスが、来季、3シーズンぶりにV・プレミアリーグに戻ってくる。

 JTはかつて、ロンドン五輪銅メダリストのセッター竹下佳江やミドルブロッカー大友愛、韓国代表キム・ヨンギョンらを擁し、2010-'11シーズンにはリーグ優勝も果たしたが、その後低迷。'13-'14シーズンに7位となり、チャレンジマッチ(入替戦)で上尾メディックスに敗れてV・チャレンジリーグに降格した。

 1年でのプレミア復帰を目指したが、昨季のV・チャレンジマッチでも敗れ、昇格はかなわなかった。年々ベテラン選手が抜け、高校や大学を卒業したばかりの若手選手が多くを占めるようになっており、劣勢になった時に踏みとどまれないもろさがあった。

 その若いJTが、今季のチャレンジマッチでは一歩も引かずに攻め続け、プレミアリーグの上尾に1セットも与えることなく完勝。念願のプレミア昇格を勝ち取った。

「去年のチャレンジマッチは不安の方が大きかったけど、今年は不安よりもワクワクの方がまさっていた」

 ミドルブロッカー奥村麻依のこの言葉が、この1年のJTの変貌ぶりを物語る。

監督は、アテネ五輪にも出場した吉原知子。

 チームを変えたのは、昨年6月に就任した吉原知子監督だ。

 現役時代は3度五輪に出場し、国内リーグでは4チームで優勝を果たし「優勝請負人」と呼ばれた。イタリア・セリエAでプレーした経験もある。

 '03年に33歳で全日本に復帰すると、主将として五輪経験のない選手たちを牽引し、翌年のアテネ五輪で、日本を2大会ぶりの五輪出場へと導いた。プレーでも言葉でもぐいぐいチームを引っ張り、勝つためには自分にも周囲にも妥協を許さないその姿は“闘将”と呼ばれた。

「メンタルが弱い。弱すぎる」

 吉原監督は就任早々、選手たちに容赦なく課題を突き付けた。そして、ゲーム形式の練習では22-23のスコアからスタートさせるなど、終盤の勝負どころを意識した練習を重ねた。

 また、闘うチームへの意識改革を促すため、口酸っぱくこう言い続けた。

「仲良しこよしのチームじゃ勝てないんだよ」

【次ページ】 他の選手に関与しない2人のリーダーを、変える。

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