“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
サッカー界に一石を投じるプロ入り。
室屋成、そして明治大学の英断。
posted2016/02/25 10:40
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takuya Sugiyama
まずこのコラムを書く前に一言添えておきたい。今回のコラムのテーマは、明治大学3年の室屋成のFC東京入りが、大学卒業を待たずして決まったことについての、筆者の考察であった。しかし、将来のサッカー界に一石を投じる移籍を果たした室屋本人が、FC東京の宮崎キャンプ中に左第5中足骨骨折という怪我を負い、先日、手術を施した。
AFC U-23選手権で活躍し、リオ五輪出場権獲得に重要な役割を果たした彼だったが、復帰には3カ月ほど要する見込みで、8月のリオ五輪に間に合うかどうか、そして枠が予選時の23人から18人へと減員される中で、負傷明けの彼が選ばれるかどうか。非常に微妙なところだ。
本人にとってはいきなり躓いてしまった形になったが、彼が決断したこと、彼の所属する明治大学が決断をしたことは、日本サッカー界において、非常に重要なことだと私は捉えている。だからこそ、室屋と明治大学の新たな取り組みを、こうしたアクシデントなどで風化させないためにも、今回は当初の予定通り、その功績について考察してみたいと思う。
サッカー界に一石を投じる「室屋ケース」。
2016年2月、明治大学サッカー部3年生の室屋成が、FC東京入団を発表した。
これまでも大学卒業を待たずしてJリーガーとなった選手はいた。代表的なのが、伊野波雅彦、長友佑都、武藤嘉紀だ。3人ともFC東京に入団をしているが、伊野波は阪南大学2年生時に、長友は明治大学、武藤は慶應義塾大学から3年時にプロ入りを果たしている。
しかし、彼らと室屋のケースは全く違う。今回のケースは、日本サッカー界、大学サッカー界に一石を投じたと言っても良い、非常に重要なケースだったのだ。
伊野波は阪南大を休学し、プロの道を選んだ。長友はスポーツ推薦ではなく、指定校推薦で東福岡高校から明治大に進んでおり、大学のサッカー部を途中で辞めることに支障はなかった。武藤も慶應義塾高校からの内部進学だったために、長友と同様に、途中でソッカー部(慶應大サッカー部の呼び名)を辞めることに支障はなかった。長友も武藤も休学せず、無事に卒業を果たしている。
つまり、サッカーという「特技」を評価されて大学に進学する「スポーツ推薦」の場合、Jリーガーやプロになるのはそう簡単なことではなく、仮になれるとしても、休学という選択肢を取るしかない。その結果、高校の後輩達に悪影響を及ぼす事態にも陥りかねない。かつて筑波大2年時にオランダに渡ってプロになった平山相太や、流通経済大から4年の途中でヨーロッパに渡った林彰洋も中退という形になってしまった。