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35歳の誕生日が9位スタートの最終日。
岩田寛、ゴルフ人生の「忘れえぬ日」。 

text by

舩越園子

舩越園子Sonoko Funakoshi

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photograph bySonoko Funakoshi

posted2016/02/04 10:30

35歳の誕生日が9位スタートの最終日。岩田寛、ゴルフ人生の「忘れえぬ日」。<Number Web> photograph by Sonoko Funakoshi

荒天で月曜日に持ち越された岩田寛の4日目。一桁順位の果実はほとんど手にしかけていたが……。

岩田に寄り添ったキャディ、そして見守る3人。

「こんな(悪コンディションの)中でやることはあんまりないので、将来に生きればいい」

 そう言うしかなかった最終ラウンド。35歳の誕生日は忘れがたき日になった。探しものは本当に遠くへ消え去ってしまったのだろうか。

 そうかもしれない。そもそも、「いつまでこんなことを?」という問いの答えなんて、見つからないのかもしれない。

 けれど、岩田を照らす光は今、すでにある。暗黒の世界では決してない。彼自身、そのことに気付いていないはずはない。

 激しい風雨の中でクラブを振り続けた岩田の傍らには、キャディの新岡隆三郎が常に寄り添い、淡々と仕事をこなしながら静かに岩田を励ましていた。

 ロープの外には、ずぶ濡れになりながら岩田の一打一打を見守る3人の姿があった。

 マネージャーの乾芽衣はインサイドロープの事情を熟知している元プロキャディ。「寛さんの本当の良さを知ると、はまるんです」と笑いながらエールを送っていた。

暴風雨の中でも、人々に見守られた誕生日。

 トレーナーの金田相範は、岩田と同じ東北福祉大学の出身。練習を見つめていると岩田の苦悩や葛藤が伝わってくると言うが、マッサージ中は会話は交わさず、ほぼ無言。「寛さんのほうが2つ先輩ですから」。おいそれと言葉なんてかけられないと金田は言うのだが、そんな金田に身を任せる岩田が、後輩の無言の意味を感じ取っていないはずはない。

 契約先の本間から派遣されている用具サポート役の喜多圭は、ジュニア時代から「本格的にゴルフをしてきた」という筋金入りのゴルファー。そして、サンフランシスコで生まれ育った正真正銘のバイリンガルボーイ。岩田にとって頼もしい味方だ。

 さらには、びしょ濡れになりながら岩田を見つめ、拍手を送り、「こんなコンディションで試合をやるなんてPGAツアーはおかしい!」と岩田に代わって憤慨していた日本人ギャラリーのご夫婦もいた。

 暴風雨の中でも、そんな人々に見守られてていた誕生日は、すこぶる幸せ。その意味でも、忘れがたき日と言えそうだ。

【次ページ】 「僕は周りを幸せにするほうが幸せです」

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