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多村仁志と落合GM、出会いは15年前。
打撃以上に期待されている「経験」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/01/20 10:50
トライアウトには参加せず、オファーを待った多村仁志。育成契約が球団と本人双方にとって幸せな結果につながることを期待したい。
「『誰かがやってくれるだろう』って考えじゃダメ」
横浜(現DeNA)の低迷期からソフトバンクの黄金時代を知る多村は、チームの意識について、こんな経験則を話してくれたことがあった。
「『誰かがやってくれるだろう』って考えじゃダメなんですよね。ソフトバンクがなんで強いのかっていうと、どんなに劣勢でも試合に出ていない選手も含めて、チームの一人ひとりが『自分がやってやる』と思いながら試合に臨んでいるんですね。みんなが打てていなければ自分が打つ。そういう意識の大切さは学んだと思います」
3年連続でBクラス。ここ数年、チームの高齢化と若手が育たない中日において、多村の経験は心強いだろう。
横浜時代、徹底的にバットを振らされた落合GMとの縁。
もうひとつ、多村が中日に加わることでチームにプラスとなる要素を挙げれば、彼の獲得に踏み切った落合博満GMとの関係性だ。
多村と落合には浅からぬ縁がある。
'01年、当時横浜の若手だった多村は、春季キャンプで臨時コーチとして招かれた落合に徹底的にバットを振らされた。
2、3時間で1500スイングは当たり前だったそうだ。短時間でこれだけの数を振るのは容易ではない。しかし落合の現役時代がそうだったように、禅問答のごとく無心でバットを振り続けることで、自然と自分に適した打撃フォームが身についてくるものなのだという。落合の指導によって理想の形を手に入れた多村は、3年後の'04年には40本塁打と飛躍的な成長を遂げた。
長距離砲のイメージが強い多村ではあるが、長打以外にも長いキャリアで得たものは多い。例えば、多村本人が強調していたのは守備だった。