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海外バレー経験を後輩に伝えたい――。
元代表・佐野優子が“エージェント”!? 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byNoriko Yonemushi

posted2015/12/16 10:40

海外バレー経験を後輩に伝えたい――。元代表・佐野優子が“エージェント”!?<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

現役引退から7カ月。佐野の印象は現役当時とさほど変わらないが、表情の端々に“柔らかさ”を感じた。

苦難続きだった自らの海外移籍体験。

 日本の企業チームの中でやりがいを見出せずにいた佐野は、22歳だった'02年、初めて全日本に選出され世界と対戦したのを機に、海外移籍を決意。'03年に所属していた東レを退社した。

 しかし当時のバレー界ではまだ海外移籍が好意的に見られておらず、周囲から猛反対された。それでも決心は揺らがなかったが、その頃はエージェントの存在すら知らず、誰に相談すればいいのかもわからなかった。結局、所属チームのないまま1シーズンを過ごさなければならなかった。

 自分と同じように、「海外ってどんなものだろう」と興味を持っている選手を、もっとスムーズに、当たり前に送り出してあげたい。それはトップ選手に限らない。まだ進路を決めていない中高校生や小学生にも海外に触れるチャンスを与え、視野を広げてほしいと佐野は考える。

「短期間でもいいし、Vリーグのある冬場が無理なら夏場でもいい。日本のチームには試合に出られない選手もいっぱいいるから、そういう子たちを『この期間だけ行かそうか』という感じになれば。ブラジルなら夏場にもリーグがあるし、ヨーロッパのチームはシニアの下にジュニアチームを持っているので、社会人だけじゃなく、学生が夏休みに行くのもいい。外を見ることができれば、バレーに限らず、何かしら違ってくると思うから」

 ただ、「海外に行って何がよかったの?」と聞かれると、佐野は少し答えに困る。

海外で得られるものは人それぞれだけど……。

「たぶん、人それぞれ得るものが違うから、『これを得て帰れますよ』という答えなんてないんです。正直、私自身は、海外に行って技術がすごく伸びたという実感はなかった。でも気持ち的に大きく刺激を受けて帰ってこれた。国内にいたら絶対に気づかなかったことに、海外で気づけたということが一番大きいと思います」

 海外では、日本で当たり前に通用していたことが通用しなくなる。言葉が通じないし、自分に対する周囲の評価や反応も違う。

「自分がいいと思ってずっとやっていたことなのに、海外の人は『なんでそんなプレーするの?』的な反応だったりして。それは最初は衝撃的だったけど、よく考えたら、あ、そうか、と受け入れられた。それができた時に、自分の考えの幅がパッと広がった気がしました」

 それを繰り返すことが、バレーの技術だけでなく、人間としての幅を広げることにつながる。佐野の言葉に力がこもる。

「海外に行っても、性格が変わるってことはまずないんですけど、考えは変えられるんです」

【次ページ】 「日本人はすぐそうやってファインプレーに見せたがる」

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