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和田毅は「何でも自分で決める方」。
メジャー4年で再認識した野球理論。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byKyodo News

posted2015/11/19 10:40

和田毅は「何でも自分で決める方」。メジャー4年で再認識した野球理論。<Number Web> photograph by Kyodo News

復帰の背番号は2011年まで9年間背負ったのと同じ「21」。エース復活なるか。

「アメリカに残ったら、もう野球が……」

 その要因となったのが故障のリスクだった。和田は今年も怪我をした。スプリングトレーニング中に左太ももを痛めて競争から離脱し、6月にも左肩三角筋の炎症で故障者リスト入りした。

「もしアメリカに残って来年もまた怪我をしたら、もう野球が出来なくなったりパフォーマンスが落ちたりするかもしれない。そうなればホークスに戻る機会はなくなってしまう。野球人生を怪我で終わらせたくない。FAの時に快く送り出してくれたホークスに恩返しをせずに終わりたくないという気持ちが強くなり、もう迷わずに決めました」

 復帰を決めた後に、代理人から日本の他球団からも誘いがあったことやメジャー球団からも条件提示があったことを聞かされたが、「あ、そうだったんですか」と言うだけだった。

 たしかに、和田にとって日本球界復帰は、賢明な選択になるのではなかろうか。

 昨年の秋、日米野球で来日した際に少し話をする時間があった。その時にどうしても気になることがあった。

メジャーの流儀は和田の野球理論と矛盾する。

 ホークス時代以来の再会だったが、体つきがまるで違っていて驚いた。訊けば「体重は86kgくらい。人生で一番重たいです」と言うではないか。日本で投げていた頃はずっと70kg台。最終年を前に肉体改造に取り組んで、やっとの思いで「体重80kg台になった」と喜んでいたくらいだ。

「日本にいる時は、自分の理想とする投球フォームやボールを追求する中で体作りを行なってきました。でも、アメリカで少し考え方が変わった。日本よりも日程や移動がとてもハード。体を鍛えないと1年間、もたないんです」

 だから体重を増やしたのだ。

【次ページ】 理想のイメージと、アメリカ野球のギャップ。

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