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金権体質を批判しても始まらない!
日本のFIFA報道に欠ける3つの視点。 

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田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

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posted2015/06/24 10:30

金権体質を批判しても始まらない!日本のFIFA報道に欠ける3つの視点。<Number Web> photograph by AFLO

FIFAのジョゼフ・ブラッター会長(左)と、UEFAのミシェル・プラティニ会長。FIFAの巨大権力を巡る綱引きはまだ終わっていない。

買収の温床となった一国一票制度自体は否定できない。

 ワイドショー的な総括の仕方に潜む2つ目の危険性は、サッカー界の制度的な不具合を傍観者的に論評している点だ。

 たしかにアベランジェ&ブラッター体制はFIFAの利権を巨大に膨れ上がらせたし、その過程でいくつもの不透明な闇をうんできた。放映権ビジネスが登場する以前は、多国籍企業とのスポンサー契約がドル箱として機能していた。

 しかしFIFAの商業的な拡大路線は、一種の民主化=サッカーを真の意味でグローバルなスポーツにしていくという大義名分とも密接に結びついてきた。その制度的な産物の一つが、一国一票制度である。

 今回のスキャンダルでは、W杯の開催地の選定に際して、小国が買収の対象となったことが報じられている。これを受けて、ヨーロッパの強豪国とアジアやアフリカの無名国に、同じ票を与えるのはおかしいと唱える声も聞かれるようになった。

 しかし、独立した協会に等しく投票権を与えるという発想は、原理的には誰にも否定できないのではないだろうか。「参政権や民族の自治独立は万人に等しく認められるべきだ」というロジックと同じだからだ。

FIFAにおいては日本もまた「新興勢力」である。

 さらに述べれば、日本が2002年にW杯を共同開催したのは、このような民主化路線・拡大路線の延長線上にあったことを念頭に置いておく必要がある。FIFAは今日でこそ世界的な組織という印象が強いが、もともとはヨーロッパで結成された会員制クラブのような組織だった。日本は南北アメリカやアフリカ、オセアニア諸国などと同じように、ヨーロッパで構成されていた“世界”に後から参入していった「新興勢力」なのである。

 それを考えれば、一国一票制に日本が安易に異を唱えていいということにはならないはずだ。代案なき批判ほど無責任なものはない。一国一票制度には不具合が多すぎると主張するなら、各協会の主権を最大限に尊重しながら、サッカー界全体として合理的な判断を下せるような新たなシステムを提案する必要がある。

 理事会の制度もしかり。権力が集中しすぎているというのであれば、一国一票制度とセットで、体系的な改革案を提示すべきだ。

 おそらく、これができればノーベル賞ものだろう。国連でさえ、1世紀近く似たような問題に悩まされ続けてきたのだから。

【次ページ】 目的のためには、敵とも手を結ぶ政治闘争の闇。

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