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林、池辺、又吉の野球人生の分岐点。
「行けるときにプロへ」という考え方。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2014/08/01 10:40

林、池辺、又吉の野球人生の分岐点。「行けるときにプロへ」という考え方。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

中日で欠かすことの出来ないセットアッパーとして活躍する又吉克樹。サイドからのスライダーは強力無比だ。

アマチュア球界“だから”潰れてしまった選手はいる。

 大学、社会人に進み、プロから指名を受けるような活躍ができなかったということは、所詮、プロに入ってもダメだったのだという言い方はできる。だが、それはわからない。プロの方が、水が合うということもある。逆に、旧態依然とした上下関係等が残る日本のアマチュア球界で、実力がありながら野球以外のことでつぶされてしまうこともある。

 '00年に智弁和歌山が驚異的な打力で全国制覇を成し遂げたときの主砲、池辺啓二も、林と同じような悔いをもらしていた時期がある。彼も高校卒業後は慶大、JX-ENEOSとエリートコースを歩んだが、甲子園で活躍したときほどのインパクトを残すことができず、プロから声がかかることはなかった。池辺も高校時代にプロ入りを希望すれば、獲得に名乗りを挙げる球団はあったことだろう。

 たとえば安楽が今後、アマチュア球界に進み、そこで肩や肘を故障してプロ入りの夢がかなわなくなるという可能性がまったくないわけではない。

プロを選択すれば確実に残るものがある。

 もちろん、プロに入ることが目的ではなく、プロに入って活躍することが目的なのだから、野球ができなくなるという意味では同じではないかという意見もあるだろう。

 だがしかし、プロを選択していれば、確実にひとつだけ残るものがあると思うのだ。

 昨シーズンのドラフト会議で独立リーグ史上、最高位となる2位で中日から指名を受けた香川オリーブガイナーズの又吉克樹は、環太平洋大学時代、社会人チームから誘いの声がかかっていた。にもかかわらず、独立リーグで2年間プレーし、プロを目指すことを選択した。もし夢がかなわなかったら野球を断念し、高校の教員になるつもりだったという。

 誘われた企業が、さほど魅力的ではなかったということもあるようだが、なかなかできることではない。又吉はその理由をこう語っていた。

「社会人は選手の入れ替わりが激しいので、プレーできても2、3年だと言われた。だったら、仕事しながらではなく、独立リーグでがっつり2年間、やった方が悔いが残らないと思った。『変わってるね』って、相当言われましけど。そのとき応援してくれたのは、大学の投手コーチ1人だけでしたね。それと挑戦してダメだったんなら、先生になったとき、子どもたちに『夢はあきらめちゃだめだよ』って堂々と言えるじゃないですか」

【次ページ】 「行けるときに行く」というのもよいのではないか。

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