野ボール横丁BACK NUMBER
野球経験5年でプロ入りの上沢直之。
「お払い箱6割」の大器、3年目の1勝。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/04/09 10:30
プロ初登板が初先発で、初勝利となった上沢直之。これは日本ハムでは斎藤佑樹以来となる。現時点でもまだ野球経験が10年に満たないその経歴に、つい大きな伸びしろを期待してしまう。
二死三塁でピッチャーゴロをホームへ。
中学2年生のときには、こんなことがあった。ワンナウト三塁で捕手に「ピッチャーゴロはホームな」と指示を受け、その打者を三振に打ち取りツーアウト三塁に。通常、その段階でゴロはオールファーストだと理解する。しかし上沢は二死後、ピッチャーゴロを打たれ、ホームに投げてしまったのだ。
「ツーアウトになってるのに言われた通り、ホームに投げちゃって……。慌てたキャッチャーがファーストへ暴投して、その試合は負けちゃったんです」
中学時代は最終的には「135kmぐらい」(本人談)まで球速は上がったが、結局、2番手投手で終わる。
上沢が本格的な指導を受けたのは千葉県の強豪、専大松戸に進学してからだ。フォームを一から作り直したのだが、野球経験が少ないことがむしろ幸いした。
「肩関節が柔らかいので、中学時代は肘が中に入りすぎていた。それで肘が上がってこなかったんです。そのあたりを持丸監督に直してもらいました。前のフォームも癖というほど固まっていなかったので、すんなり修正できました。あと手が大きくて軟球ではしっくりこなかったのですが、硬球になってうまく力を伝えられるようになった」
「化けたら、10勝、15勝するピッチャーになるかも」
高校生となり本格化の兆しを見せつつあった上沢は、2年春からエース番号を背負い、チームを県ベスト8に導く。その後、夏、秋と続けて県ベスト4入り。3年春は準優勝し関東大会にも出場したが、最後の夏は4回戦敗退。2回戦の千葉明徳戦で16奪三振をマークするなど大器の片鱗も見せたが、どのスカウトも、「もうちょっと見たい」というのが本音だったのではないか。
最終的には本人のプロ志望を尊重した持丸だったが、高校3年生当時、必ずしも上沢のプロ入りに悲観的だったわけではない。
「化けたら、10勝、15勝するピッチャーになるかもしれない。図太いし、手先が器用。ただ、体がぜんぜんできてないからね。今いる1年生の方が腕の振りがいいぐらいだもん。ここから育てるのは大変。だけど、自分の首をかけるぐらいのつもりで獲りにくるスカウトはいるかもしれないね」