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いつも心に“大洋”を!
異能の脳外科医・近藤惣一郎の半生。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph bySoichiro Kondo
posted2014/02/24 10:40
2月5日、キャンプ地・宜野湾で三浦大輔番長とツーショットをきめる近藤氏。
考えれば、大洋が近藤氏に何かしてくれたわけじゃない。
2007年、近藤45歳。20年のキャリアに頼らず一から美容外科を学ぶべく東京の大手美容外科クリニックに就職する。脳外科医として培った知識・経験を十分活かした独自の手術・治療法を確立し、3年後には品川・御殿山と大阪・江坂にクリニックを開業。現在に至っている。
東京と大阪を駆けまわる忙しい中にも、クリニックには毎朝スポーツ新聞がずらりと用意され、ベイスターズの情報をくまなく探る姿は少年の頃と変わらない。
横浜球場にはシーズンシートを持ちながらも、岐阜にいた頃に羨望の眼差しで川崎を見ていた経験から、地方のファンへとシートを開放し、自身は月に2、3度エキサイティングシートで、球場に行かれない日はテレビで観戦する。イヤーブックやファン感謝デー、球場広告などで資金協賛を行い、オフには若い選手達を食事に誘い、精神面などのアドバイスも行っているとか。
これらのことは、近藤氏がこれまで大洋にしてもらった恩義を返そうとしているだけだという。
しかし、考えてみると、大洋が近藤氏に特別何かをしたわけじゃない。ただ、ひたすらに、負け続けただけなのである。
うーん。いいのか……それで。
「俺のわけわからん格好は踏み絵みたいなもん」
「いいんですよ、それで。周りと違う自分を貫くことには勇気とエネルギーが必要です。それが大洋ファンであり続けたことで養われたのです。岐阜の街に生まれた少年が、遠く川崎の大洋に思いを巡らせ育ったことが原点となり、その時、その時、どの場所にいても、僕は常にもっと広い世界をみつめ、目指して生きてこられたのだと思います。今こうして東京や大阪で沢山の人のご縁をいただきながらも自らの世界を創りだし、生きていられるのも、そのおかげです。
それにね、プロ野球なら巨人。会社でも一流企業に勤めているとか、そういうことじゃない。男ってのは、その人間自身が看板になるべき。身なりや、名刺の肩書きだけ見て態度を変える人間なんて信用できないですよ。そんな人にロクな人間はいません。
僕が、ご覧の様な恰好をしているのも踏み絵みたいなものなんですよ。この出で立ちでも近づいてきてくれる人は、大洋ファンと同じ。物事の本質をみてくれる人だと思いますよ。上辺のことに騙されず物事の本質を見極める力で大洋・横浜ファンは試合の勝ち負けではなく、選手ひとりひとり、1打席、1イニングをしっかり観ているからこそ、常に何かを感じとり、心に植え付けて、このチームと共に生きているのです。
だから、僕は大洋に関するものはすべて愛します。選手・球団関係者、そしてこのチームを応援するすべての人を私の家族と思い、愛しています。多少、頭が悪くて成績が良くなくても、不細工で不器用でも、自分の子供を愛さない親はいませんからね(笑)」