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<三浦知良と柳沢敦の往復書簡> 僕のサッカー人生で最も「やりやすい」男。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byMegumi Seki
posted2010/12/11 08:00
今回の差出人
柳沢敦
1977年、富山県生まれ。'96年、鹿島入団。'00年6月6日、三浦知良とトップを組んだハッサン二世国王杯のジャマイカ戦でA代表初ゴール。'03年、イタリアに渡り、サンプドリア、メッシーナに所属。'06年、鹿島へ復帰し'08年、京都へ。11月に戦力外通告を受けたが現役続行の意志を表明している。'02日韓、'06ドイツW杯に連続出場。
親愛なるカズさんへ
お元気ですか? 僕にとってカズさんは憧れの存在です。カズさんを最初に見たのは、僕がまだ中学生のころ。当時の僕は、読売クラブではなく日産のファンでした。ブラジル帰りのカズさんが入った読売に、悔しい思いをよくさせられたものです。
でも次第に、カズさんのプレーから目が離せなくなってしまう自分がいました。クラブでも代表でも、点を取ってほしいとみんなが願う場面でゴールを奪うカズさんに惹かれていったのです。
カズさんに初めて声を掛けてもらったのは'98年の日本代表候補合宿でしたよね? 僕が憧れているのを間接的に知ったカズさんがわざわざ話しかけてくれて。とにかく凄いオーラでした。僕は緊張しすぎてしまい、会話の内容についてはほとんど記憶がないんです(笑)。
練習でのカズさんは常に100%以上。妥協のない日々の取り組みがトップレベルを維持する秘訣なのだと、思い知りました。
サンプドリア時代の印象深い思い出。
この合宿を境によく声をかけてもらうようになりましたよね。試合で会うときだけでなく、時折、電話でもサラリと気がついたところをアドバイスしてくれたこともありました。
なかなか点が取れなくて苦しんだ時期にも「誰でも経験することなんだから、気にするな」と言ってもらったことで随分気持ちが楽になったものです。京都からオファーをもらったときも「京都でチャレンジすることはいいと思うよ」と背中を押してくれましたよね。
そして、電話といえば印象深い思い出があります。僕がサンプドリアに在籍していたあるとき。試合前に宿泊したホテルの部屋の電話が鳴って……。電話に出たら流暢なイタリア語でいきなりまくし立てられて、最後に「カズ・ミウラ」だと(笑)。ユーモアもありますけど、カズさんの言葉一つひとつに重みがあって、僕の心のなかにスッと入ってくるんです。
食事の後でカラオケに行き、トシちゃんの曲を熱唱。
プライベートでも思い出があります。もう6、7年も前。妻と結婚する以前に都内で一緒に食事をしていたら、電話が掛かってきて「近くにいるから顔を出すよ」と。わざわざ来てくれたカズさんに僕も妻も感激でした(笑)。食事の後でカラオケに行って、カズさんはトシちゃんの曲を歌ってくれました。曲に合わせた細かい芸も最高で、店の人たちと一緒になって凄く盛り上がりましたよね。
僕は5月5日にJリーグ通算100ゴールを達成した後、33歳になりました。カズさんも33歳のときに同じ京都で100ゴールに到達したことを後になって知りました。この年になってつくづく、40歳を過ぎても走れているカズさんは“化け物”だと感じています。自分には到底かなわない領域ですが、これからもずっとカズさんの影響を受け続けていくことに変わりはありません。
いつも前向きで僕にエネルギーを与えてくれるカズさん。僕の前をずっと突っ走っていてください。