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亜久里との勝負から14年後――。
日本GPでの可夢偉の3位激走を追う。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2012/10/09 11:40
今季は中国GPで予選3位、ベルギーGPで予選2位にもかかわらず不運にも表彰台を逃してきた可夢偉。表彰台でのコメントは「皆さん、ありがとうございました。初めての表彰台が何と鈴鹿でした!」だった。
遡ること14年前。当時12歳だった少年は、あるテレビ番組の企画で日本人として初めてF1の表彰台に上がった鈴木亜久里とカートで対決した。少年の名前は小林可夢偉。
「レースで一番楽しいのは、バトル。10年後の夢は、F1ドライバー」とテレビカメラの前でモータースポーツへの熱き思いを語った可夢偉にとって、日本GPで3位表彰台に登壇していた亜久里は、神様のような存在だった。
その亜久里との対決は、1周目から激しいバトルが展開された。スタートからリードしていた可夢偉は、亜久里に何度もオーバーテイクされそうになりながらも必死に防戦。なんとか逃げ切って勝利を収めた。レース後、亜久里は笑顔で可夢偉を讃えた。
「もう少し考えてレースができるようになれば、もっと速くなるよ」
褒められたにもかかわらず、少年の顔に笑みはなかった。逆に瞳は涙で潤んでいた。「(亜久里さんに)遊ばれとった」と。
可夢偉にはわかっていたのである。亜久里はオーバーテイクできなかったのではなく、あえてしなかったのだ、と。
亜久里が見守る中、日本GP決勝に臨んだ小林可夢偉。
2012年の秋。2人は鈴鹿でカートではなく、F1マシンをドライブしていた。
しかし、直接バトルすることはなかった。なぜなら、亜久里が乗ったのは今から22年前の'90年に表彰台を獲得したときにドライブしたラルースLC90・ランボルギーニ。鈴鹿サーキット50周年の記念のイベントとして、ファンの声援を受けながらサーキットを1周しただけだったからだ。
その約2時間後。可夢偉は愛車ザウバーC31に乗り込み、亜久里が見守る中、日本GP決勝レースに臨んだ。レースはオープニングラップから手に汗握るバトルが繰り広げられた。
相手はジェンソン・バトン。
2人がバトルを演じるのは、これが初めてではない。2人の戦いは、可夢偉がF1にデビューした'09年のブラジルGPから始まっていた。