F1ピットストップBACK NUMBER
亜久里との勝負から14年後――。
日本GPでの可夢偉の3位激走を追う。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2012/10/09 11:40
今季は中国GPで予選3位、ベルギーGPで予選2位にもかかわらず不運にも表彰台を逃してきた可夢偉。表彰台でのコメントは「皆さん、ありがとうございました。初めての表彰台が何と鈴鹿でした!」だった。
可夢偉のザウバーC31よりバトンのMP4-27の方が速い!
'09年のグランプリはバトンにとってタイトルがかかった一戦だった。
にもかかわらず、可夢偉は臆することなく対等に戦い続け、簡単にはバトンに道を譲らなかったのである。
ところが、バトンはF1初戦の可夢偉がかなう相手ではなかった。防戦するために序盤にタイヤを酷使した可夢偉は、その後のレース戦略が狂い、デビュー戦は入賞に一歩届かず9位とほろ苦いものとなった。その日から可夢偉は、それまでにも増してタイヤの使い方に気を遣い、研究を重ねた。
そして迎えた2012年、可夢偉にとって55戦目のF1グランプリ。
日本人としての母国グランプリ最高位となる3番手からスタートダッシュを決めた可夢偉は、序盤、2番手を走行。一方、バトンは予選で可夢偉よりも速かったものの、ギアボックス交換によって5番手降格のペナルティを受け、8番手からのスタート。それでも、スタート直後の混乱をうまくかわして3番手に浮上していた。最初のピットストップのタイミングでフェリペ・マッサに抜かれ、3位可夢偉と4位バトンの争いに。だが、マシンが持っているポテンシャルだけを考えれば、バトンが駆るマクラーレンMP4-27のほうが速かった。
レース終盤、バトンが可夢偉を抜くのは時間の問題かと思われた。
しかし、そのバトンを2回目のピットストップまで、可夢偉は抑え続けた。
1周目から始まった2人の戦いの決着は、残り18周の最終スティントに持ち越される。バトンの戦略は4周早くピットストップしていた可夢偉のタイヤが劣化するレース終盤にDRS(可変リアウイング)を使ってオーバーテイクを仕掛けるというものだった。
実際、状況はバトンが計画していた通りに進んでいく。36周目に4.5秒あった2人のギャップは、周回ごとに削られ、44周目からはいよいよ2秒を切ったのだ。ここでバトンにレースエンジニアから無線が入る。
「もうすぐ、DRSゾーンだ。いいぞ、そのまま攻めろ!!」