ゴルフトーナメント通信BACK NUMBER
<日本ゴルフツアー選手権への道> 昨季王者・五十嵐雄二、激闘の記憶。
text by
塩原義雄Yoshio Shiobara
photograph byTaku Miyamoto
posted2010/06/01 10:30
'09年の日本ゴルフツアー選手権に優勝した五十嵐雄二は何を思い、
何を感じてプレーしていたのか。
今年、ディフェンディングチャンピオンとして宍戸ヒルズの舞台に戻ってくる
五十嵐が語った“その瞬間”。
「シード権獲得」「ツアー初優勝」。
自宅寝室の壁に毛筆書きした半紙を貼り続けてきた男が、40歳にして二つの夢をいっぺんに成就させた。昨年の日本ゴルフツアー選手権での五十嵐雄二である。半紙は、もう何枚目になっていたのだろうか。
「文字に記せば、その願いは必ず叶う。そんな話を人づてに聞いて、よし、やってみようと思ったのです」
息子の冬休みの主題になっていた書き初め。五十嵐は一緒になって年頭の目標を墨黒々と半紙に書き込んだ。毎年書き換えるのだが、文言は、変わらなかった。朝晩、この文字が目に飛び込んでくる。
'01年に優勝目前まで進みランキングも上がったが……。
'92年にツアープロに転向し、最も優勝に近づいたのは'01年、茨城・大洗CCを舞台にして行われたダイヤモンドカップであった。シード権を持たない五十嵐は、この大会、マンデートーナメントからの挑戦だった。自分の手で掴んだ本戦出場権。地元ということもあって友人、知人が大勢応援に駆けつけてくれた。
その大声援に後押しされて、4日間で11アンダーをマークした。全選手がホールアウトしたとき、この11アンダーは伊澤利光、藤田寛之とともにトップタイであった。プレーオフでは、伊澤に屈したものの2位タイ。賞金840万円を獲得してノーシード選手のリランキングでシーズン後半はかなりの出場権を与えられることが確実になった。
念願の「シード権獲得」も視界に入ってきた。ところが、連戦の疲れであろうか、体が先に悲鳴をあげてしまう。試合中にギックリ腰を発症して、その後思うように獲得賞金を積み重ねることができなかった。ツアーが終了し、五十嵐の賞金ランクは76位。あとわずかなところでシード権獲得はならなかった。
「今度こそシード権を確保する」と誓った'09年シーズン。
'08年暮れのファイナルQT。9位に食い込んだ。'09年のツアーへの出場権が与えられた。
「今度こそシード権を確保する」と意気込んで迎えた開幕戦。予選落ちだった。次の試合も、また決勝ラウンドに進むことはできなかった。そして、ダイヤモンドカップ。本戦からの出場だった。舞台は、'01年大会と同じ大洗CC。相性もゲンもいいコース。だが、結果は振わなかった。予選はクリアしたものの最終成績は57位タイにとどまった。その翌週に控えていたのが、日本ゴルフツアー選手権の大舞台であった。
練習日、五十嵐は鈴木亨、野仲茂、久保勝美の組に加えてもらってラウンドした。実は、これが悲願成就への大きな伏線になる。