フェアウェイの舞台裏BACK NUMBER
練習せず活躍する手嶋プロらに学ぶ!
アラフォー・プロゴルファーの秘密。
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byWataru Murakami
posted2012/07/19 10:30
セガサミーカップで一時はトップタイまで並んだ手嶋多一は、最終日を67で回り、通算15アンダー、3位タイで終了した。
練習するべきか、せざるべきか。それが問題だ。
アマチュアゴルファーのみならず、プロゴルファーにとっても。「練習しないのが美学、みたいなところがあったからね」と語る手嶋多一にとっても……。
男子ツアーは、瀬戸内海で行われたミズノオープンから北海道でのセガサミーカップまで、1週間ほどの空き週があった。
手嶋多一のクラブは試合終すぐに瀬戸内海から日本アルプスを越え、津軽海峡を渡って、北の大地でいまや遅しと主人の到着を待っていた。しかし、肝心の持ち主は北海道に背を向けて、自宅のある九州でのんびりとオフウィークを過ごしていた。
仕事道具を次の会場にさっさと送っていまい、2歳の長男を連れての家族サービスで向かったのは佐賀県のメルヘン村。花とリスのテーマパークは“練習”の2文字とどこまでも無縁の場所である。
さらに温泉に行ったりと「ふらふらと過ごした1週間」。手嶋のクラブはゴルフ場のバッグ置き場でただただ待ちぼうけを食らっていた。つまり2つの試合の間に手嶋はまったくクラブを手にしなかったことになる。
プロなのに。
パターさえも?
「パターだけ持って帰るわけないじゃないですか。得意の完全休養!」
完全休養明けのセガサミーカップで初日4位と好発進した手嶋は、悪びれることなくそう言って笑った。
ゴルフ漬けの手嶋が「練習しないプロ」になった理由。
「練習しないプロ」「ホールアウトしたら10分で帰る男」
ジュニア時代に九州の怪童と呼ばれた手嶋の、43歳になった現在の異名はそんなところだ。'07年から勝ち星には見放されているものの、ツアー通算6勝を挙げ、'96年からシードを逃したこともない。まぎれもなく実力者である。
「練習するのは嫌いじゃない」と手嶋は言う。元々、実家は練習場で、ゴルフに明け暮れる生活を送ってきた。プロになっても「若いときは最後まで残って、すごく練習してた」のだという。
それが変わり始めたのは30代半ばを迎えた頃からだ。
「ゴルフがうまくいかなくなって、だんだん練習しなくなって。そしたら、たまたま成績がよくなったんだよね。だから練習は嫌いじゃないけど、そういう生活習慣ができちゃったんですよ」
32歳、まだしっかりと練習をしていた'01年には日本オープンを制した。スイングにあれこれと悩んで未勝利に終わった'02年を経て、2年ぶりに優勝した翌年のアイフルカップの頃には「終わって10分後にコースを出る」ルーティンはできあがっていた。