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阪神・一二三慎太の決断は報われる!?
投手から野手に転身する事例を検証。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2012/01/22 08:01
「もうピッチャーに未練はない。ピッチャーでは無理だったけど、野手ならリハビリしながらやっていけると思う。もう自分は野手って決まりましたので、今年は野球に没頭したい」。鳴尾浜での自主トレで1月から始動している一二三慎太選手
投手を捨てて、大打者への道を選んだ日ハム・中田翔。
日本ハムの若きスラッガー中田翔は、片山とは逆に、投手を捨てて、打者として成功した口だ。
高校時代の中田は通算87本塁打を記録するなど、高校球界きってのスラッガーとして注目を浴びてきた。フルスイングして放たれた強烈な弾道は、とても、高校生のものとは思えなかった。
しかし、一方、当時の中田には、投手としての才能にも、非凡なモノがあった。自身も人一倍のこだわりがあった。最速151キロのストレートとスライダーなど4種の変化球を巧みに操る。最速151キロと表現すると、ストレートの速さばかりに目がいってしまうが、彼が非凡だったのはストレートの速さだけではない優れたピッチャーだったということだ。
梨田前監督も「プロで通用する」と認めた非凡な投球術。
まず、スライダーが秀逸だった。それはプロ入団後の1年目の春季キャンプ、中田が気分転換のためにブルペンに入った際に捕手を務めた梨田前監督が「スライダーはプロで通用する」と語っていたことで証明されている。
けん制、クイックなどのピッチング以外の能力もずば抜けていた。高校時代、ほとんど盗塁を決められたことがなかった。クイックが1.1秒~1.25秒で推移し、けん制が上手い。スタートさえ切らせなかった。二塁に走者を置いた際には、セットポジションからの投球で足を上げて二塁走者を目でけん制し、ホームにスライダーを投げたこともあった。また、三塁走者を背負っていた時には、捕手のサインをみながら、右足のプレート外して、三塁けん制をする高等技術を披露した。力任せの傾向が強かったバッティングとは違って、「投手・中田」に隙はないのだ。
「ピッチングに関しては繊細な部分を持っている」
大阪桐蔭・西谷浩一監督は、度々、そう話していたものだ。
右肘の古傷の影響を懸念して中田はバットを持った。
しかし、高校卒業時、中田は、強くこだわってきた投手を諦め、打者として生きていく道を選んだ。理由の一つには、高校2年の春に負った右肘の怪我が大きく影響していただろう。中田は打者選択のワケをこう語っている。
「ピッチャーとしてもやれないことはないと思っているんですけど、でも、やっぱり、怪我のことがある。自分の性格からして、ピッチャーでダメになってから、バッターをやるってなったら、できないと思うんですよ。やる気なくすんで。それだったら、今、評価してもらっているバッターの方でと思って決めました。過去にも、こだわりすぎて失敗したって言う人も聞いていたし、自分は間違えんとこ、と」
投手・中田に魅了されてきた者の一人としては残念な決断ではあったが、中田の言葉からは清々しさを感じたものである。