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F1最悪の日 

text by

西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

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photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

posted2005/06/24 00:00

F1最悪の日<Number Web> photograph by Mamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

 アメリカ・グランプリ翌日月曜日の朝、ホテルのドアの下に滑り込ませてあった「シカゴ・トリビューン」紙のスポーツページをめくると「ストップ・ユア・エンジンズ!」という見出しが、スタートシーンとともに飛び込んで来た。そこにはたった6台のマシンしか映っていない。

 インディアナポリスの世界的イベント、インディ500は「レディス・アンド・ジェントルメン、スタート・ユア・エンジンズ!」の名物アナウンスで始まる。それを合図に33台のマシンのエンジンが咆哮を上げ、数十万人の観客はいっせいにスタンディング・オベーションを贈るのだ。インディ500で最も輝かしい、鳥肌が立つような瞬間だ。レースそのものよりも感動的かもしれないと思うほどだが、上記新聞の「ストップ……」という見出しは、その名文句を下敷きにしている。

 インディ500にはかなわないが、それでも12万人という観客がアメリカ・グランプリに集った。20台のマシンがグリッドに着き、フォーメイションラップ開始となると、律儀にスタンディング・オベーションが沸き起こる。

 しかしその数分後、歓声はブーイングに変わった。スターティング・グリッドに戻って来たのはたった6台。残り14台は一列になってピットへ戻り、ガレージの中に入ってエンジンを切った。14台はすべてミシュラン・タイヤ勢で、タイヤに構造欠陥が見つかりレースをボイコットせざるを得なかったのだ。ストップ・ユア・エンジンズ。戦わずしてのリタイアにはしかしあらかじめ“談合”があった。我々プレスを含め関係者は(やっぱり…)と思った。

 だが、事前になんのアナウンスもなかった観客には何がなんだか分からなかったはずだ。スタートのやり方に何か手違いがあったのか?と思ったのではないだろうか。あるいはF1独自のマル秘作戦でもあると感じたか。

 しかし、2周、3周……どうもそうではないらしいと分かった観客はいっせいに両の親指を下に向けて“サムダウン”を作る。最低だぜ!馬鹿にすんなよ!十数万の親指はそう言っていた。出口に向かって歩き始めるお客さんも多い。スタンドが抗議の足踏みで揺れ、ペットボトルがコースに投げ入れられる。走っている6台はむしろ被害者なのだが、お客には怒りの矛先を向けられるのはサーキットしかないのだ。

 レース後、プレスが勝者シューマッハーに「今日のレースはお金を払う価値があったか?」と訊くと、ウィナーは吐き捨てるように「なぜボクに訊く?バーニーだろ」と言った。バーニー・エクレストン、今回のリタイア“談合”の主導者で、F1界のドンだ。シカゴ・トリビューン紙にはドライバーのコメントが引いてあった。

 インディ500ウィナーのビルヌーブは「ボクが観客でも同じことをしたよ」と言い、クルサードは「胃が悪くなった」と語り、シューマッハーは「F1にとって最悪の日。我々がやったことは申し訳が立たない」とファンにメッセージを送る。「アイム・ソー・ソーリー」と、あのシューマッハーが言う。

 クルサードではないが胃が痛くなる思いで深夜まで原稿を打った後、インディアナポリスを出て仲間達と陸路シカゴ空港近くのホテルへ向かった。

 「F1は死にましたね」と車中ひとりがポツリ言った。まだ死んではいない、そう思いたいが、今日インディアナポリスに来たお客さんの心の中では死んでしまっただろう。いかなる理由があれ、F1はアメリカを裏切った。信頼と尊敬と約束。この国がいちばん大事にしているものをF1はインディアナポリスで失ったのかもしれない…ひとりそう呟きながら、対向車のヘッドライトを浴びていつしか眠っていた。

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