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モナコの“魔物”をも封じ込めた
ブラウンGP。
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)
posted2009/05/28 06:01
フェラーリのピット作戦に対し、ブラウンがとった策とは?
だが、そのフェラーリの戦略は空振りに終わった。ライコネンがピットインした翌周、バリチェロもまたピットインし、バリチェロがコースに戻ったときに再びライコネンの前に位置することになったからだ。ブラウンの白い壁は依然ライコネンの前にそびえたまま。首位バトンがピットインしたのはバリチェロの翌周で、バトンがコースに戻ると、3位ライコネンとはすでに十数秒の間隔が開いていた。
レース後、バリチェロは序盤のペースダウンを「後輪にトラブルが出たため」と語っているが、それはどうか。バトンを逃がすための意図的なラップタイム低下だったのかもしれないが、仮にそうだったとしてもそれはブラウンの巧妙な戦略の勝利。ブラウンGPのモナコ初制覇はマシンが速かったことに加え、完璧な戦略の遂行にあった。さすがは策士ロス・ブラウンである。
これでバトンは開幕6戦5勝、ブラウンのワンツーは3回目。かつてこれほど強いチームがあっただろうか? あった。18戦15勝と圧勝した2004年のフェラーリ(ミハエル・シューマッハー+ルーベンス・バリチェロ、テクニカルディレクター=ロス・ブラウン)だ。
同年のフェラーリが初めて敗れたのが6戦目のモナコ。そのモナコをも楽々と制したブラウンGPは終盤を待たずにタイトルを決めるかもしれない。ちなみに2004年、シューマッハーが戴冠したのは晩夏のベルギー(スパ・フランコルシャン)だった。