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小林可夢偉のパートナーは38歳!
“デ・ラ・ロサ”という男は何者か?
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byGetty Images
posted2010/02/04 10:30
F1ドライバーの選手組合ともいえる“グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)”の会長を務めるデ・ラ・ロサ。サーキット内で非常に人望があるドライバーである
1月19日、小林可夢偉が移籍したザウバー・チームから「二人目のドライバーにペドロ・デ・ラ・ロサ決定」との発表があった。
では、デ・ラ・ロサとはいったいいかなるドライバーなりや?
可夢偉の相棒については、昨年後半フォースインデアからフェラーリに移籍したフィジケラ、BMW子飼いのハイドフェルド、そしてデ・ラ・ロサなど複数人の名前が取り沙汰されていた。チームオーナーのピーター・ザウバーは「じゅうぶんF1の経験を積んだドライバーを選ぶ」とだけしか言っていなかったが、いま挙げた3人はいずれもその資格十分で、それゆえに誰がなってもおかしく無いという誠に予想し辛い噂だったのだ。
当初はザウバーの使用エンジンがフェラーリであることから、サード・ドライバーのフィジケラ有力説が一歩抜けているかに見えた。フィジケラ招聘によってフェラーリ・エンジンのレンタル料が少なからず軽減されるのではないか? というのがその根拠である。2009年までのメインスポンサーであるペトロナスをメルセデスGPに持って行かれ経済的に苦しいザウバーにとって、出費が少ないにこしたことはない。
しかしデ・ラ・ロサに決まったということは、それ以外の思惑が働いたということになる。
フィジケラについていえば2004年にザウバーで走ったこともあり、4位を最高に22点を獲得。同年ランキング11位につけたが、そのことは今回の人選にあまり影響しなかったようだ。
ともあれ今回のデ・ラ・ロサとの契約に関してザウバー御大は「ペドロは高い技術水準を持つトップチームで数年を過ごしており、その経験は我々のチームに必要なばかりでなく若いカムイにも有用なものだ」と、その獲得理由を語っている。
目を付けたのは、可夢偉にはないベテランのしぶとさ。
デ・ラ・ロサは1971年2月24日スペイン・バルセロナ生まれ。開幕戦を迎える頃には39歳になっており、小林可夢偉の15歳年上にあたる。
1971年生まれといえばフィジケラ('73年生まれ)より2歳、ベテラン・バリチェロ('72年生まれ)よりも1歳年長。F1デビューは1999年オーストラリアと古いが、決して順風満帆なF1人生でなかったことは、レギュラー参戦シーズンが通算で4シーズン(1999~2002年)しかないことからも分かる。なにしろ最後の実戦が2006年のブラジルで、通算レース数が72レースというのだから、普通ならとっくにカテゴリーを変えるかリタイアしていても不思議ではないキャリアなのだ。
ここ数年はマクラーレンのサードドライバーとして縁の下の力持ちとして活躍。もっぱら黒子に徹していたが、その苦労人が輝いたのが2006年のハンガリーだった。
このレースはいまを時めくJ・バトンが第3期ホンダに唯一の勝利をもたらした荒れに荒れた一戦だったが、デ・ラ・ロサはM・シューマッハーと大バトルを演じて一歩も退かず、キャリア唯一の表彰台(2位)を手にしている。飛び抜けた速さや超絶技巧の持ち主ではないものの、しぶとさは誰にも負けない! というあたりがデ・ラ・ロサの持ち味であり、ザウバーが買ったのもそのあたりの資質だろう。