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女子マラソン、意外な勝者。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2008/08/18 00:00

女子マラソン、意外な勝者。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

 8月17日、女子マラソンを制したのは、大会前に優勝候補として名前のあがったことのない選手だった。

 この日は、予想を覆すことが次々に起きた。

 まずはなんといってもレースコンディションだった。

 猛暑といわれていたにもかかわらず、ここ数日同様、涼しい気候であったことだ。

 選手たちも、今日は走りやすかった、と試合後に語っていた。

 例えば初出場の中村友梨香は、「暑い日本で練習していたので走りやすく感じました」と語り、6位入賞のマーラ・ヤマウチもまた、「全然暑くなくてよかったです」と感想を述べた。

 だからといって、選手たちがスムーズに走れたかと言えばそんなことはなかったはずだ。

 出場する選手は、猛暑を前提としたトレーニングを積み、戦略を練っていたからだ。それが狂わされたのは間違いない。

 野口みずきの欠場も大きく作用していたように思える。

 野口がいれば、多くの選手は野口をマークして走ることになる。

 その軸がなくなったのである。

 走りやすいと感じるコンディションにもかかわらず、スタートからスローペースに終始し、大集団が形成される展開が続いたのは、気候、軸の不在などの戸惑いからだっただろう。

 このレースを動かしたのは、コンスタンティナ・トメスク(ルーマニア)だった。

 トメスクは20kmすぎに一人ペースを上げ、集団から飛び出していった。

 スローペースだったにしても、この地点というのは早すぎるように見えた。

 ところがこのまま一人旅を続け、トメスクが先頭でゴール。女子マラソン史上最年長の38歳で、金メダルを獲得することになったのである。

 いったいなぜトメスクに続く集団から追いかける選手が誰もいなかったのか。

 トメスク自身、「誰もついてこないことに驚いた」とゴールしてから言ったほどだ。

 その理由として考えられるのは、トメスクがマークされる存在ではなかったこと、つまりいずれ落ちてくる、つぶれる選手と思われていたこと。2005年のヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得したことはあるが、アテネでは20位だったし、結果をそれほど残してきた選手ではない。

 また、集団の中にアテネ銀メダルのキャサリン・ヌデレバ(ケニア)、優勝候補の一角と見られていた周春秀(中国)など、有力選手がひしめいていたことも理由としてあげられる。だから互いに牽制しあったのだ。

 こうした展開の中、日本勢は、野口欠場で期待を集めた土佐礼子が25kmすぎでリタイヤした。常に粘り切る土佐のリタイヤは驚きだった。だがあとから聞けば、故障によりこの1カ月、満足に走れなかったという。強行出場だったのだろうが、野口の欠場がなければ、ひた隠しにすることも、無理をすることもなかったかもしれない。

 中村は、30kmすぎに集団から遅れていった。

 「調子はよかったはずなのですが……」

 それが五輪初出場、しかもマラソン自体2度目という経験の浅さなのかもしれない。

 こうした出来事が後方で起こる中、気づけばトメスクは集団に大差をつけていた。もう後ろから追うには遅すぎる状況となっていった。

 トメスクの調子がよく、最後までペースを保ち走りきったことが、まず賞賛されるべきである。

 それとともに、さまざまな勝負の綾があったのもたしかである。

 それが意外な優勝者を生み出すことになったのだ。

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