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長崎清峰高校 短かった夏。/センバツ優勝の快挙の裏で 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byShinichiro Nagasawa

posted2009/08/03 11:30

長崎清峰高校 短かった夏。/センバツ優勝の快挙の裏で<Number Web> photograph by Shinichiro Nagasawa

選抜大会では最速148キロをマークしたエース今村猛。女房役の川本真也と

吉田監督と清水コーチ、2人の情熱が生んだ成果。

 清峰は、ミステリーでいえば『Yの悲劇』で有名なエラリー・クイーンの作品のようなものだった。つまり、1人の作品だと思いきや、実は2人の合作だったのだ。だから、一見、相反すると思える性格が同居している。

 ひとりは、物怖じせず、鷹揚で、どこかつかみどころのない性格。それは吉田のパーソナリティだ。その一方で、繊細で、緻密で、実に生真面目な面も持ち合わせている。それは清水がもたらしたものだ。

 地元の選手しかいない田舎の公立高校でわずか4年半で甲子園に初出場。さらには、6年目に全国準優勝。そして9年目に全国優勝を成し遂げるというこの快挙は、ひとまず、この2人の両極端な情熱が何らかの化学変化を起こし、とてつもないエネルギーを生んだ成果だと言える。吉田も話す。

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春の甲子園、決勝で岩手の花巻東を破り、長崎に初の優勝旗を持ち帰った

「吉田のいいところと、清水のいいところが、ガツーンとかんでいたんでしょうね」

 ただ、正確に記せば、清水は日本一になったときはすでに清峰を去っていた。この春から佐世保実業に移っていたのだ。

 清水が清峰の野球部から身を引いたのは、昨年の秋のことだった。その直前、吉田の後を受けて監督になったばかりだったのだが、一般生徒に手を上げ謹慎処分となり、そのまま戻ってこなかったのだ。結果、吉田が監督に復帰することになった。その経緯には複雑な事情があったようだが、根底にあったのは互いの信頼関係のもつれだ。

相反する性格だが、2人とも超一流の指導者である。

 もともと吉田と清水は、佐世保商の野球部の先輩、後輩の間柄だ。吉田が清水の一年先輩になる。吉田が大学卒業後、母校の監督になったときからの十数年来のコンビだった。2人に接してみると、2人が合い、そして合わなかった理由がわかるような気がする。アバウトな人。吉田にはそんな一面がある。初めて取材に訪れたのは'05年の冬だった。時間が遅かったこともあって、ちゃんぽんをカウンターに並んですすり、その後、自宅にも少しお邪魔させてもらったりしたものだから、こちらは勝手に親しくなったつもりでいたのだが、この春、再訪したときは「吉田です」と、あっさりと名刺を差し出されてしまった。まったく覚えていなかったのだ。でも、そんな人柄がおもしろくもあった。

 一方、清水は一度会った人は絶対に忘れないような人間だった。相手の目を凝視し、話すのも、聞くのも、常に全力。話の合間に「こんな話でいいですか?」といちいち確認をしながらしゃべる。また、川瀬の話によると清水は「女性のようにきれいな字を書く」らしいが、いかにもそんな丁寧なタイプに映る。

 2人をよく知る、ある強豪校の監督が2人をこんな風に評していたことがある。

「授業中、つまらなそうに窓の外を眺めて他のことばかり考えているのが吉田さん。どんな先生の授業もじーっとよく聞いて、きれいにノートをつけているのが清水さん。まあ、言ってみれば自由と規律ですよ。でもクラスにとってみれば、どっちも必要。力を発揮する場所が違うだけ。でも共通点がひとつだけある。それは分野は違うけど、指導者としては2人とも超一流だということです」

【次ページ】 強豪他校も見習った名物の猛練習。

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今村猛

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