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次にジャパンを指揮する、忘れ得ぬ“熱き男”。 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byShinsuke Ida

posted2006/11/09 00:00

次にジャパンを指揮する、忘れ得ぬ“熱き男”。<Number Web> photograph by Shinsuke Ida

 その爆走に、背筋を電気が走った。1987年5月22日。史上初めて開かれたラグビーW杯の開幕戦。オールブラックスの22歳のWTBジョン・カーワンは、192cmの巨体を恐ろしいまでのスピードに乗せ、鋭角的なステップでイタリアのタックラーをかわして走り続け、自陣ゴール前から7人抜き90m独走のノーホイッスルトライを決めたのだ。これは大変だ……翌日、再放送に間に合うようあわてて秋葉原へビデオデッキ購入に走ったのは記者だけではないだろう。

 その10年後、怪物は日本にやってきた。'97年、東日本リーグの中堅チームだったNECに加入。それまで社会人大会8強が最高だったNECの成績は、JKことカーワンの加入とともに上昇カーブを描き、3年目の'99年に初めて4強入り。JKは'99年度を最後に引退したが、NECはその礎の上に2年後、日本選手権で初優勝。そこからは毎年「日本一」のタイトルを掴み続けている。

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