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「電話でプロポーズした」巨人・原辰徳、異例の婚約会見で妻は泣いた「いろんな障害がありました」…アスリートの結婚式がド派手だった時代 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/03/09 11:04

「電話でプロポーズした」巨人・原辰徳、異例の婚約会見で妻は泣いた「いろんな障害がありました」…アスリートの結婚式がド派手だった時代<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1986年11月27日、巨人・原辰徳の結婚式(東京・千代田区の赤坂プリンスホテル)

 相手の女性とは1981年の巨人入団前に出会って交際を始め、結婚も意識したものの、周囲の反対を受けいったんは別れた。その後、彼女は別の男性と見合い結婚するも2年足らずで離婚、直後に偶然再会した原と再婚するにいたった。原としても再会後、色々と考えた末の決断であった。

 婚約は異例のシーズン中の1986年5月8日に発表され、翌日には二人そろっての会見が行われている。その席上、彼女は涙ぐみながら「ただただ、本当にありがたいという気持ちでいっぱいでした」と繰り返した。彼女が報道陣からの質問に言葉が途切れがちになると、原がすかさず助け船を出し、「僕らのあいだには、たしかにいろんな障害がありました。しかし、そういうのは超越してこの人と一緒になろうと決意したのです」ときっぱりと語った。

 当時、離婚歴のある女性に対して、世間一般には偏見が少なからずあった。もし、婚約発表より前に写真週刊誌にすっぱ抜かれていたら、二人の関係はもっとスキャンダラスに騒がれていたかもしれない。それを原は報道に先んじて公表し、真摯な態度を示すことで「純愛」へと昇華したのだ……とも評された(『サンデー毎日』1986年5月25日号)。

 写真週刊誌は、1986年にビートたけしが『FRIDAY』の取材姿勢に抗議して編集部に乱入するという事件もあり、数誌を残して休刊があいつぎ勢いを失っていく。90年代初めにはバブルも崩壊した。だが、アスリートの結婚報道はむしろこのあとピークを迎えることになる。

<続く>

#5に続く
「もうスクープ競争はやめてください」伝説の貴花田・宮沢りえ婚約会見から“似顔絵だけ”松井秀喜まで「なぜアスリートは結婚式を公開しなくなった?」

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