巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
巨人OBは落合博満批判を続けた「41歳の落合に居場所ない」“33億円補強”巨人がまさかの最下位転落…そして落合の“名球会拒否”事件が起きた
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/02/25 11:05
1995年4月15日の阪神戦。通算2000安打を本塁打で達成し、花束を受ける落合
読売新聞社の渡邉恒雄社長の「カネに糸目はつけないから、大物選手を取れ」という大号令のもと、オフにシェーン・マックや広沢克己を獲得。指揮官は「去年は落合コケたら、みなコケてしまったからね」と、オレ流依存からの脱却を掲げた。キャンプ中、「戦略という意味では『どうやっても優勝できる』というだけのことはやった。あとは、実際にやるだけです」(週刊現代1995年2月25日号)なんて、長嶋監督は勝利宣言とも受け取れる絶対的な自信を口にするほどだった。
その一方で、年齢的に落合の故障からの完全復活には懐疑的な声も多く、巨人OBの青田昇は、「落合の痛めた内転筋は一発でダメになる部分。私も内転筋をやってダメになった」と自身の現役時代の経験を引き合いに出して、完治は困難と断言。同じく球団OBの元沢村賞投手・小林繁は、大型補強の理由を「今年は、落合が必ずしも『不動の4番』でない可能性を示唆している」と、自身の連載「小林繁の[野球は心理学]」の中で背番号6の追い込まれた立場を強調する。
「落合は6、7番に適したバッターではないのだ。脚力の面でもそうだし、落合に送りバントをさせるわけにもいかないだろうから。したがって、極めてシビアな見方をすれば、4番の座を外れた落合には、『もはや、居場所がない』と言っても過言ではないと思う。あえて言えば、『4億円の代打』しか。これは、落合の選手生命の終焉を意味すると言っていいだろう」(週刊宝石1995年3月2日号)
コーチも「落合が“無理”なら、はっきり言う」
新任の武上四郎打撃コーチも、就任早々「キャンプで落合を見て、もし『無理だ』と思えばはっきり監督にそう進言しますよ」と、まるで元三冠王に引導を渡すのが自分の仕事だと言わんばかりに週刊誌でアピールする。
「体力も、筋力も落ちているでしょうし、本人も自覚しているでしょう。(中略)今年は1年間4番を通すことは苦しいでしょう。去年は、長嶋監督も代えたい気持ちはあったが、それに代わる打者がいなかったということでしょう。しかし、今年は誰が4番を打ってもいいですから」(週刊現代1995年2月4日号)
数カ月前の10.8決戦でヒーローとなり、4番打者としてファンに優勝の立役者と絶賛されながら、それでもなおOBやコーチからは、まるでチームの世代交代の足枷のような言われ方をしてしまう。これがジャイアンツの外様選手の現実だ。ならば、オレはオレの好きなようにやらせてもらうさ――。50日間にも及ぶ、一軍本隊から離れての孤独な調整は、落合のそんな意思表示のようにも見えた。