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「なにバカなこと言ってんの?」巨人・落合博満40歳は記者に不機嫌だった…一方で「すまん」痛恨エラーの夜、“15歳年下”ピッチャーにまさかの謝罪

posted2023/12/10 11:01

 
「なにバカなこと言ってんの?」巨人・落合博満40歳は記者に不機嫌だった…一方で「すまん」痛恨エラーの夜、“15歳年下”ピッチャーにまさかの謝罪<Number Web> photograph by KYODO

長嶋茂雄監督のすぐ隣を定位置にしていた巨人1年目の落合博満(当時40歳)

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第9回(前編・後編)、落合博満により四番の座を奪われた“エリート”原辰徳……5歳差の“新旧”四番のキャラクターを比較する。なぜこれほど対照的なのか?【連載第9回の前編/後編も公開中】

◆◆◆

落合博満「そんなことならオレは帰る」

「髪の毛、立ってる? いいよ、女の子のモデルじゃないんだから。オレ、嫌いなんだよ」

 編集者が撮影用に準備したイタリア製カシミア・セーターを差し出すと、無愛想な男は「なにバカなこと言ってんの、着換えないよ。そんなことならオレは帰る」と出口に向かいかける。1994年2月3日発売のNumber333号で、写真撮影に臨んだ40歳の落合博満は、握ったボールを見つめてというカメラマンからの注文にも、「もういいよ。早く話にしよう。プロは一枚、一発勝負よ」なんてカメラの前から逃げようとした。あの星野仙一が「ものすごくシャイな部分と横柄な部分が同居している」と評したように、球場ではあれだけ自信満々にふるまうオレ流も、グラウンドを一歩出ると、照れ屋だった。

クロマティ「原はオシャレだ」

 そんな落合とは対照的な野球人生を送ってきたのが、原辰徳である。1981年に新人王を獲得すると、ピーク時は明治製菓、大正製薬、オンワード樫山といった大手7社とCM契約を結び、ブラウン管の向こう側から日本中にタツノリスマイルをふりまいた。80年代に圧倒的な知名度を誇った巨人軍の中心で光り輝く若大将。その凄まじい人気ぶりには、同僚外国人のウォーレン・クロマティも皮肉交じりに、こう呆れるほどだった。

「原はすごくオシャレだ。カメラマンのためにめかしこんでいるのを、何度目撃したことか。(中略)まだ早い時間で、グラウンドには誰も出ていない。だいいち原はその日、出場しないことになっていた。それでもカメラが待ち構えていると知って、いそいそとグラウンドに出ていくではないか。俺は野次馬根性から後をつけた。原はダッグアウトの最前列に座ってポーズをとる。するとカメラがズームする。まるで映画スターか何かのようだ」(さらばサムライ野球/W.クロマティ・R.ホワイティング共著/松井みどり訳/講談社)

「このまま引退するんじゃないか…」

 しかし、そんな80年代の球界のアイドルも、35歳で迎えた1994年シーズンは、オープン戦終盤に負った左アキレス腱の部分断裂で開幕二軍スタート。自分がいない一軍は、両リーグ20勝一番乗りと開幕ダッシュに成功して、10年間に渡り守り抜いた「巨人の四番」の座も、FA移籍してきた40歳の落合が全試合スタメン出場を続けていた。

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