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「あいつ誰なんだ?」“朝鮮高校初の”日本代表、李承信22歳は衝撃的な小6だった…ラグビーの原点は“挫折”「なんで、あのとき蹴らんかったの?」 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2023/10/07 11:10

「あいつ誰なんだ?」“朝鮮高校初の”日本代表、李承信22歳は衝撃的な小6だった…ラグビーの原点は“挫折”「なんで、あのとき蹴らんかったの?」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

9月28日のサモア戦。後半36分から途中出場し、W杯デビューした李承信(22歳)

「しかも、努力もすごい。大阪朝高の朝練は7時半からで、僕はだいたい7時10分には着いていました。ただ、承信は毎朝7時に門が開くのを待ち、すぐにグラウンドに出ていた。僕が着いたときにはもう1人でプレースキックの練習をしているんです。1人で同じ場所からいくつかボールを蹴ると、それを拾ってきてまた蹴り続ける。高校時代は何度もそんな姿を目の当たりにし、やっぱコイツすごいなって。

 僕は自宅から東大阪市の学校まで自転車で約40分かけて通っていましたが、承信は神戸からですからね。電車で1時間半くらいはかかるので、たぶん毎朝5時半までには起きていたんじゃないですかね」

 従弟の朴祐亨さんもこう証言する。

「(高校時代)承信は家が遠いのに、誰よりも朝早く来ていました。すごいのはまったく無理している感じがないんです。よくスポーツは楽しむ人が最強みたいな言われ方をしますが、まさにそれを体現していたというか。朝練でキックの練習をしていたのは、1年のときの東海大仰星戦のことがあったからかもしれないですね」

 李承信自身は東海大仰星戦のあのペナルティゴールのチャンスについて「いい位置でしたし、いまなら絶対に蹴ります。ただ、そのときはもし失敗して、兄たち3年生の高校ラグビーが終わってしまうと思うと、蹴ることができなかった。勇気がなかったんです」と、当時はプレッシャーに勝てなかったと振り返っている。

じつはヴィッセル神戸の下部組織も注目していた

 悔しさを味わったぶん、それを糧に努力を重ね、成長してきたのだ。

 恩師の権晶秀さんも「1年から試合に出ていて、才能はもちろんあったけど、誰よりも練習していた」と続ける。

「練習はほんま、ようやってました。それに承信は、自分の練習だけやっていればええねんということではなく、備品の準備や(グラウンドを均す)トンボかけなど絶対にチームファーストの精神を忘れませんでした。だから承信が卒業していちばん寂しかったのは、そうしたラグビーに取り組む真摯な姿勢を後輩たちに見せられなくなってしまったことでした。

 普段はおっとりしていて、少しシャイ。でも、いい意味でギャップがあって、グラウンドに入ると眉毛の角度が変るのが彼の魅力なんです」

 大阪朝鮮高時代から李承信を知る彼らからすれば、22歳でのW杯出場には少し驚きもあったというが、いずれは日本代表に入る逸材だという確信もあった。中学まで学校の部活ではサッカー部を選択し、サッカーでも地元ヴィッセル神戸の下部組織から声をかけられるほどの選手だったそうだ。

 従弟の朴さんは李承信のキックについて「コンバージョンも、流れのなかでのキックも正確性や瞬時のアイデアはサッカーで積み重ねてきた部分があると思う」と話す。

 サッカーの経験と苦い思い出が詰まっている李承信のキックは、フランスの地を経験しどう成長していくのだろうか。

<続く>

#2に続く
「日本に帰化したり、通名にする選択肢もあったはず」“朝鮮高校初の”ラグビー日本代表、李承信22歳の覚悟…朝鮮高校の現実「年々生徒数が減っている」

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