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「あいつ誰なんだ?」“朝鮮高校初の”日本代表、李承信22歳は衝撃的な小6だった…ラグビーの原点は“挫折”「なんで、あのとき蹴らんかったの?」

posted2023/10/07 11:10

 
「あいつ誰なんだ?」“朝鮮高校初の”日本代表、李承信22歳は衝撃的な小6だった…ラグビーの原点は“挫折”「なんで、あのとき蹴らんかったの?」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

9月28日のサモア戦。後半36分から途中出場し、W杯デビューした李承信(22歳)

text by

栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph by

Kiichi Matsumoto

ラグビー日本代表のスタンドオフ李承信(リ・スンシン、22歳)。全国の朝鮮高校出身者で初の代表に選ばれ、W杯出場を果たした彼の原点を独自取材した。【全2回の1回目/#2へ】

◆◆◆

「絶対に忘れられない一敗」

 朝鮮高校出身者で初のラグビー日本代表になった李承信(リ・スンシン)。彼にはラグビー人生で忘れられない一敗がある。

 7年前の花園予選、全国高校ラグビー大阪府予選第1地区決勝。花園への切符をかけた東海大仰星(現東海大大阪仰星)との一戦である。

 李承信は大阪朝鮮高校の1年ながら、この試合に15番フルバックとして先発出場。前半にペナルティゴールを1本、後半にもコンバージョンキックを成功させるなど、キックを2本蹴って2本とも成功させていた。

 しかし、10-12と2点ビハインドで迎えたラストワンプレーで選択を迫られる。東海大仰星が反則を犯したのだ。距離は約5メートル、右中間の角度で得た“決めればサヨナラ”のペナルティゴール(3点)のチャンス。しかし承信は蹴ることができなかった。決める自信がなかったのである――。

 大阪朝鮮高はキックを狙わずFWでのモールを選択するも、直後にボールを奪われノーサイド。勝てば2年ぶりの花園出場だったが、夢は泡と消えた。

 その後日本代表入りを果たす承信にとって、この経験はキッカーとしての原点であり、選手としてのターニングポイントになる。

「なんで、あのとき蹴らんかったの?」

 李承信の母方の従弟で、大阪朝鮮高では同級生、ともにラグビー部だった朴祐亨(パク・ウヒョン)さんが当時を振り返る。

「(東海大仰星戦に)1年生で試合に出ていたのは承信だけ。僕はスタンドから見ていましたが、ペナルティをもらった瞬間『キックを決めたら勝ちだ!』ってなりました。スタンド全体がワーッて盛り上がったのを覚えています。

 なぜ蹴らなかったのかは本人にしかわからないですが、主将は承信の2つ上の兄貴(李承爀〈リ・スンヒョ〉、現・三重ホンダヒート所属)で、チームは3年生中心でした。仮に失敗したときに弟にすべての責任を負わせるようなことはしたくなかったんじゃないですか。難しい位置であれば外しても『仕方ない』となりますが、かなり微妙な位置だったのでプレッシャーもあったと思います。いまでこそ『なんで、あのとき蹴らんかったの?』と笑って話せますが、あの頃は何も言えなかったですね」

「たぶん無理でした…」

 大阪朝鮮ラグビー部の監督(当時)だった高校時代の恩師、権晶秀(コン・ジョンス)さんも「蹴れとはよう言わんかったです」と回想する。

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