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「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」

posted2023/09/11 06:01

 
「“ガイジン”は日本代表にふさわしくない」とまで言われ…高校ラグビー海外留学生のパイオニアが語る「苦難の時代」と「日本の変化」<Number Web> photograph by KYODO

現在は仙台育英高でラグビー部の監督を務める二―ルソン。高校での外国人留学生たちの道を切り開いてきた

text by

山川徹

山川徹Toru Yamakawa

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KYODO

フランスW杯が開幕し、初戦のチリ戦を快勝したラグビー日本代表チーム。試合で重要な役割を果たしたのが、「海外出身の日本代表選手」たちだ。いまでこそ彼らは代表に欠かせない存在として受け入れられているが、かつては決して順風ばかりではなかった。特に育成年代の代表入りに関しては慎重な声が大きかったという。高校時代に日本に留学し、現在は日本国籍を取得して仙台育英高ラグビー部の監督を務めるニールソン武蓮傳(旧名はブレンデン・ニールソン)のエピソードを『国境を越えたスクラム』(中央公論新社、2023年8月文庫版発行)から抜粋して紹介する(全3回の2回目/#3へ続く)

「ぼくがいたことで、チームメイトみんなが苦労した。仙台育英は留学生を使って強くなった。ずるいじゃないか。そんな批判をずっと受けましたから」

 ニールソンのそんな言葉が印象に残った。

 佐藤(※二―ルソンが仙台育英高1年時の副キャプテンだった佐藤晋平さん)をはじめとする仙台育英ラグビー部OBたちは、ニールソンが入学してからレフリーが仙台育英高に不利な判定をするケースが増えてきたと証言する。それは「勝利至上主義」に対するレフリーの反発だったのかもしれない。

 しかし単身留学し、新しい環境に溶け込もうと努力する十代の少年に対して、あまりに不寛容な姿勢だろう。

高校への留学生として道を拓いた二―ルソン

「自分がいいヤツかどうかは分かりませんよ」とニールソンは冗談っぽく前置きした。

「最初は“ガイジン”って目で見て、距離を置いていても、実際に接してくれれば、壁はなくなる。だからこそ、ぼくが卒業したあとに、ネーサン・アンダーソンと正智深谷のカトニ・オツコロが留学生ではじめて高校日本代表になれたんじゃないかと思うんです」

 ネーサン・アンダーソン(現アンダーソンネーサン)は、仙台育英高で学んだニールソンの6学年下の留学生だ。カトニ・オツコロは、ネーサン・アンダーソンと同期の埼玉県深谷市の正智深谷高校で学んだトンガ人留学生である。

 仙台育英高は、2000年度、2001年度に花園ベスト4の実績を残す。チームの主力がアンダーソンだったのである。

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