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「“0-0信仰”を払拭せよ」ミハイロ・ペトロヴィッチが注目する3人の日本人指導者とは?「松橋力蔵さんは新潟で…」【インタビュー】

2026/08/08
名古屋グランパスで指揮をとるミシャ
W杯の熱気も冷めやらぬ8月7日、生まれ変わったJリーグが幕を開ける。秋春制へと移行することで、日本サッカーにはどんな変化が起こるのか。名古屋を率いる名将が、攻撃的スタイルへの意識改革を提唱する。(原題:[新生Jリーグ開幕インタビュー]ミハイロ・ペトロヴィッチ「“0-0信仰”を払拭せよ」)

「あのときは5%と言った。でもまた、こうしてお会いできましたね」

“ミシャ”ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、筆者の顔を見るなりこう言った。

 2024年12月、任期満了で北海道コンサドーレ札幌の監督を退任した当時67歳の指揮官は、チームをJ2降格させた責任や年齢面の不安もあり、監督業を続ける可能性を「5%」と答えていた。

 J1で通算594試合を指揮し、長年、第一線を走り続けてきた名将が、初めて「引退」をリアルに考えた瞬間でもあった。

「監督退任後、自宅のあるオーストリアに戻り、サッカーと無縁の生活を送っていた。指導者の道に進んでからの33年間、自分のために時間を使うことなどほぼなかったが、家族と過ごし、腰と股関節の治療に専念した。ただ、健康状態が良くなるにつれて、再び頭の中にサッカーが戻ってきた。ちょうどそのタイミングで名古屋グランパスからオファーが届き、妻と2人の娘に相談したんだ。彼女たちは私がもう一度挑戦したがっていることをすぐに見抜いた(笑)」

 広島で6シーズン、浦和で6シーズン、そして札幌で7シーズンと、これまで率いた3クラブで長期政権を築いてきた。自らの哲学と信念を浸透させるために「チーム作りには時間が必要」と語る指揮官だけに、4つ目のクラブを引き受ける決断には慎重にならざるを得なかった。

 だが、一度立ち止まったことで「サッカーに対する情熱は衰えていない」と確認できたという。'26年、幕を下ろしかけた監督キャリアを名古屋で再開させた。

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photograph by Yuki Suenaga

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