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「一度やめたときにネガティブは全部置いてきた」女子100mHの先駆者・寺田明日香はなぜ引退、出産、ラグビー転向後に日本記録を3度更新できたのか《引退記念インタビュー》

2025/12/11
日本の100mHを12秒台の世界へ押し上げた先駆者は、引退、結婚、出産後にラグビーへの競技転向を経て、陸上に復帰。そして今季限りで第一線から退いた。前例が少ない道を歩む原動力になっていたものとは。(原題:[ラストランを終えて]寺田明日香「好奇心が切り拓いた道」)

 10月5日、国民スポーツ大会成年女子100mハードル決勝。平和堂HATOスタジアムは、寺田明日香のラストランを惜しむかのように冷たい雨が降っていた。

 1週間前の全日本実業団はアキレス腱痛のため棄権。最後と決めていたこの1本に彼女は全力を注ぎ、調整してきた。

「予選を走った後もすごく足が痛かったんですが、“走れなくても走るんだ”と自分を奮い立たせていました。それにこれが最後のレースだと考えると泣いてしまうからできるだけ考えないようにして」

 100m先のゴールを目指し、一台ずつハードルを越えていく。結果は5位だったが、今できる最大限の力を振り絞り駆け抜けた。本来のパフォーマンスを考えれば到底満足のいくものではなかったが、レース後はどこか解放感のようなものも感じた。

 フィニッシュ後には福部真子や田中佑美、中島ひとみ、青木益未らそうそうたる顔ぶれがサプライズで登場し、寺田を囲む。「びっくりしすぎて死ぬかと思いました」と後輩たちの優しさに、涙がこぼれた。

10月の国民スポーツ大会ではレース後に後輩たちが寺田を囲んだ KYODO
10月の国民スポーツ大会ではレース後に後輩たちが寺田を囲んだ KYODO

「逃げ続けたら“逃げ癖”がついてしまうんじゃないかと」

 2008年の日本選手権の100mHで史上最年少優勝した寺田は、その後、'10年まで3連覇しながらも'13年に23歳の若さで一度陸上から離れている。陸上選手としてはもっとも脂がのる時期だが未練はなかった。

「'12年のロンドンオリンピックを目指していましたが出られませんでした。その頃、私は勝てなければ、記録が出なければ意味がないと思い込んでいて。とにかく自信がなかったんです。しかも当時は周囲に相談することもできず、自分の中にため込んでいました。そこに怪我や不調が重なったことで、“何をやっているんだろう”と自分を追い詰めるようになってしまった。それなら新しい道を見つけたほうがいいんじゃないかと方向転換したんです」

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photograph by Satoko Imazu

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