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「僕は成長期が遅かった」高校まで“柳”のように細く無名だった柳田悠岐を“超人”へと導いた大学時代の恩師の一言とは「あの選手はスケールがある…」
柳田悠岐にお馴染みの「ギータ」の愛称がついたのはプロになってからだ。
「名付け親はムネさん(川崎宗則)です。ルーキーの時の春のキャンプで、新人全員をゴハンに連れて行ってくださって、席に座るなり『柳田って言いにくいよな。よ~し、ギータだ』って」
それまで番記者間では「鷹のゆうちゃん」と呼んでいた。柳田が指名された2010年ドラフトは“ハンカチ狂騒曲”に沸いた。ホークスも当初、早稲田大学の斎藤佑樹を1位指名。だが、4球団競合の末にくじを外した。その後2位で入団してきたのが柳田で、「別の『ゆうき』が入ってきた」という短絡的すぎる理由だった。振り返れば大変失礼なことをしたものだ。だけど、柳田に嫌な顔をされたことは一度もなかった。
「同世代だけどライバルなんて呼べない。雲の上の存在だし別世界の人。だから何も思いませんでした」
では柳田は、どんな“世界”でプロを目指していたのか。母校の広島経済大学を訪ねると、柳田の2学年上で現野球部総監督の堤裕次が応対してくれた。大学進学後は指導者を目指して学生コーチを務め、卒業後は大学職員となり柳田がいた時期はコーチとして野球部に残っていた。堤は広島商業高校の先輩でもある。
「広商に入学してきて最初の練習をよく憶えています。ノックを受けるのを一目見て『たぶん3年間試合に出られないだろう』と仲間内で話していましたから。当時サードでしたが、股関節がとにかく硬くて動きが悪い。体の線も細いし、身長も170cmに満たなかったですし」
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