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[肉体改造ヒストリー]柳田悠岐「スラッガー誕生伝説」

2023/01/26
“電信柱”と呼ばれた細身の少年は、球界を代表する“超人”へと変貌を遂げた。その過程で彼を動かした反骨精神と意外な緻密さ、チームを救う大砲へと成長する才能がそこにはあった。

 かつて在った旧広島市民球場。その最寄り駅「原爆ドーム前」から路面電車で2駅の「十日市町」の近くのモスバーガーで、2006年の夏から約半年間、当時広島商業高校3年生だった柳田悠岐はアルバイトをしていた。

 高校野球を引退してやっと自由を謳歌できる頃。だが、青春真っ盛りの柳田はせっせと働いた。遊ぶ金欲しさではなく「ジムに通うお金を稼ぐため」だった。

 現在の柳田といえば堂々たる体軀を誇り、マン振りから驚異的な飛距離の打球を放ち、最近では「変態打ち」と評される上手さとパワーの極致とも言うべき本塁打をかっ飛ばしてファンを魅了する。しかし、昔の彼は名の如く「柳」のように細く、ときに「電信柱」と例えられたりもした。少年時代は平凡。中学時代の打順は9番が最も多かったが、高校生でやっと大きな成長期が訪れた。入学時に170cm未満だった身長が高3では186cmまで伸びたのだ。だが、体重は68kgほどしかなかった。

高校時代は全国大会未経験。大学時代は1年生から試合に出場し通算82試合で打率.428、打点60 Yomiuri Shimbun/AFLO
高校時代は全国大会未経験。大学時代は1年生から試合に出場し通算82試合で打率.428、打点60 Yomiuri Shimbun/AFLO

「高校時代の練習といえば、とにかく走り込んで、メシをいっぱい食べること。体重は増えなかったけど、身長が伸びてからは金属バットだったこともあり芯に当たれば飛ぶようになった。通算は11本だけど、最後の夏の県大会で2本ホームランを打ちましたから。それで思ったんです。筋トレをして鍛えれば、オレもっとやれるんじゃないかって」

 バイトで貯めたお金で、金本知憲や新井貴浩が通っていたジムの門を叩くと、柳田の体は着実に、いや一気にサイズアップしていった。

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photograph by Nanae Suzuki

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