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「志田さんの辞書の中に…」バドミントン・志田千陽&松山奈未が語る“ペア解消”の葛藤と感謝「松山は正直に打ち明けてくれました」《Wインタビュー》

2025/09/17
左から松山奈未、志田千陽
昨夏、オリンピック銅メダルに輝いた思い出の地で二人は最後の戦いに挑み、表彰台に上がった。11年という長い間、同じ目標を持って共に走り、戦い続けたシダマツが相棒への思いを語る。(原題:[ペア解消と今後を語る]志田千陽&松山奈未「それぞれの道を歩んでも」)

 集大成を前に万感の思いがこみ上げた。

「11年間、シダマツの“志田”と“松山”として積み重ねた努力に嘘はないのでプライドを持ってコートに立ちたいし、シダマツらしいプレーをお見せしたいです。たとえそれができなくても、最後まで自分たちを信じて戦い切って、私たちらしくダブルスを心から楽しめたら」(志田)

 8月30日、世界選手権準決勝。パリ五輪で銅メダルを獲得した思い出の地、ポルト・ド・ラ・シャペルアリーナで志田千陽と松山奈未は決勝進出をかけ、世界ランク2位のマレーシアペアと対戦した。第1ゲームを先取したものの、続く第2、第3ゲームは相手に主導権を握られ、1-2で終戦。最後にシャトルをネットにかけた松山は膝に手をつきうなだれ、涙を拭う相棒を志田は笑顔で迎えた。

「一緒に頑張ってきてくれてありがとう」

 この大会限りでのペア解消を公表していた二人のラストマッチは、彼女たち自身4度目となった舞台で、同大会初となる銅メダル獲得。有終の美を飾った。

 二人が初めてコンビを組んだのは2014年、志田が青森山田高校2年、松山が九州国際大付高校1年のときだった。

「中学の頃から知っていて、ペアを組みたいねとか、一緒にオリンピックに行けたらいいねって話をしていたんです」(志田)

AFLO
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 初めて組んだときからスピードも波長もピッタリと合った。相性の良さを感じた二人はペアを組むと同年のジュニア韓国オープンで優勝し、翌年の世界ジュニア選手権では銅メダルを獲得。ともに再春館製薬所に入社し、本格的にペアを結成すると、'20年には念願の日本A代表入りを果たした。

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photograph by Asami Enomoto

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