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「ミスターなら100%金メダルが獲れていた」長嶋茂雄不在のアテネ五輪、選手らが背負った“使命と重圧”とは?《証言:高橋由伸、上原浩治ら》
2003年11月5日、札幌ドーム。試合前のロッカールームは重い沈黙に包まれていた。日本代表のユニフォームに袖を通した選手たちのある者は目を瞑り、ある者は虚空を見つめて、その重圧と戦っていた。
'04年アテネ五輪の出場権をかけた「アジア野球選手権」決勝リーグの初戦。相手は準決勝リーグを勝ち上がった“格下”の中国だったが、その力の差は関係なかった。
「長嶋ジャパン」が、初陣を迎える。
選手たちの使命はただ一つ、勝利だった。全試合に勝つ。しかも、圧倒的に。各球団から集う21人の精鋭の一投一打に、その重責がかかっていた。
主軸を担った高橋由伸が振り返る。
「アテネで金メダルを獲る、という大目標を掲げて、初めてオールプロでのぞむ日本代表。しかも長嶋茂雄さんが監督をやるとなれば、選手としても失敗は許されない。代表に選ばれた時から、喜びの一方でこれはえらいことだと思っていました」
大会直前に福岡で行われた壮行試合ではプロ選抜に1-3とまさかの完敗を喫し、緊張感はさらに高まった。主将の宮本慎也は、札幌入りのタイミングで選手だけのミーティングを開いた。過去に国際試合を戦ったことがある高橋は、宮本に「経験を話してほしい」と促され、松坂大輔と共に選手全員の前に立った。
「一発勝負は何が起こるか分からない。だから“後でこうしておけば良かった”と後悔しても遅いんだという話をしました」
プロアマ混成でのぞんだ前回大会の'00年シドニー五輪では初めてメダルを逃した。さらに次の'08年北京五輪を最後に野球が正式競技から除外されるという動きもあり、日本球界は岐路に立たされていた。
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