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「今日は和田の引退試合だからね」甲子園で見せた長嶋茂雄“去り際の美学”…和田豊、野村克則、ホテル竹園、関西テレビの証言【2001年10月1日ドキュメント】
今一つの歴史が幕を閉じました。永遠に燦然と輝く背番号3・長嶋茂雄。ホーム最終戦ゲームセットです――。
6時間ぶち抜きの生中継を敢行した日本テレビの多昌博志アナが万感の思いを込めて試合終了を告げる。解説の堀内恒夫、江川卓、中畑清が声を詰まらせ、徳光和夫が泣きじゃくる。
スピーチの後には胴上げ。長嶋が笑顔でグラウンドを去っていく。さようならミスター。ありがとう背番号3よ、永遠に。
だがしかし。この東京ドームでの試合は長嶋監督のラストゲームではなかった。
本当の最後は翌日2001年10月1日、甲子園での阪神―巨人戦。6月の試合が雨で流れ、振り替えとなった8月の試合も雨となり、この日に組み込まれた消化試合は、3日前の長嶋勇退の報で、急遽国民が注目する一戦にバケた。
幸運にもこの試合の中継権を持っていた関西テレビスポーツ局のプロデューサー西澤宏隆は、前日の日テレの中継を観ながら武者震いをしていた。長嶋監督のラストゲーム。しかも甲子園の巨人阪神、永遠のライバル野村克也監督との最後の対決でもある。西澤は転がり込んできた僥倖に感謝し、「とりあえず、ヘリ飛ばそうや」と、日本シリーズなど国民的お祭り行事の様式美ともいえる演出を指示。その一方で一抹の不安を覚えていた。
「試合が長びいたとしても、中継の延長ができなかったんです。10月は番組の改編期で、その日は『笑っていいとも! 秋の祭典・スペシャル』が組まれていました。もちろん中継延長を訴えて上層部と何度も掛け合いましたが、大量のタレントさんが生放送でスタンバイしている以上、不可能なことでした」
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