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【1959年6月25日】「あの試合がONの出発点だったんです」“長嶋の天覧ホーマー”を生んだ隠れた名プレーとは?《森祇晶88歳、伊藤芳明91歳が振り返る》

2025/07/23
バックネット裏のロイヤルボックスで身を乗り出して観戦する昭和天皇(左写真の右)
異様な緊張感が漂う後楽園球場で、野球を生業とする男たちが死力を尽くして戦った。伝説の幕切れはいかにして生まれたのか。球史に残る一戦を当事者たちが振り返る。(原題:[ON砲誕生の夜]1959.6.25 天覧試合を照らした情熱の光)

 臙脂の布で装丁された東京読売巨人軍の球団史を小脇に抱え、かつての名将が姿をみせた。巨人のV9を正捕手として支え、西武の監督として黄金期を築いた森祇晶(現役時、昌彦)は、日本でもっとも有名なサヨナラ本塁打が生まれた夜のことについて機先を制するように言った。

「それぞれの立場で自分の仕事をする。天覧試合はそういう試合でしたし、非常に思い出深い試合でした。野球というものは、ひとりでやるものじゃないですからね」

 スーパースター長嶋茂雄の名声を揺るがぬものにしたのは、1959年6月25日に後楽園球場で行われた天覧試合である。阪神の剛腕、村山実との名勝負。昭和天皇、皇后両陛下の退場3分前のサヨナラアーチ。あまりにも劇的なフィナーレは後世に語り継がれてきたが、実はそこに至るまでにも、幾重にも重なるストーリーがあった。

 88歳になった森は、いまでも66年前の一日のことを克明に憶えていた。その日は試合前からいつもと様子がちがったという。

 普段はミーティングを行うことがほとんどない巨人監督の水原茂(当時、円裕(のぶしげ))が選手を集めて口を開いたのである。

「いいゲームをやろうとか、いいところを見せようとかいうことは全然考えることなく、普通に思う存分やればいい」

水原茂「藤田も相当硬くなっているから」

 午後6時55分。両チームが一列に並び、バックネット裏のロイヤルボックスに入る両陛下を迎えると、厳粛な空気が漂った。

 午後7時。梅雨空のもと、プロ野球初の天覧試合が始まった。先発の藤田元司はストライクとボールがはっきりして細かい制球を欠いた。3回表、投手の小山正明に先制打を浴び、明らかに本調子ではない。

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photograph by Asahi Shimbun / SANKEI SHIMBUN

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