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“打てる”ことで名捕手に…里崎智也は“異端で王道”を歩んできた「データは基礎。その上に感性という柱を立てて…」《インタビュー》

2025/06/08
現在はユーチューバーとしても活躍する里崎さん
ロッテで日本一2回、WBCでは世界一に輝くと、現役引退後は率直な物言いで球界ニュースを斬り、YouTuberとしても大きな成功を収めている。そんな異端児が、飛躍を遂げた2005年を振り返る。(原題:[異端にして王道]里崎智也「打つことこそ正義です」)

 里崎智也が左手を収めているキャッチャーミットは、現役引退を共にした「4代目」なのだという。

 歴代でもっとも愛着があったのが「初代」だ。1999年のプロ入りから2006年まで8年間使い、限界まで修繕を重ねた。その後、2代目、3代目のミットに求めたのは「初代に近づけること」だった。

「ミットは人間が作るものなので、同じものはできないんですよ。初代は僕がミットに合わせるのではなく、手を入れた瞬間にミットが同化してくれましたから。形は2代目以降もずっと一緒でしたけど、最初のミットを超えることはできませんでしたね」

Hideki Sugiyama
Hideki Sugiyama

「初代」のミットと過ごしたのは、里崎が名捕手への階段を駆け上がるための濃密な期間と一致している。

 帝京大から逆指名のドラフト2位でロッテに入団すると、1年目は二軍バッテリーコーチの山中潔からキャッチング、ブロッキング、スローイングを叩き込まれた。2年目以降、一軍での出場機会を少しずつ増やしながら、試合が終われば自分のリードを振り返り、相手チームのバッターを分析した。ビデオルームに2、3時間閉じこもることも、珍しくなかったという。

里崎がレギュラーを掴んだきっかけ

 しかし、セールスポイントだったはずのバッティングでは苦悩が続いた。2002年はプロ初本塁打を放つも、23打数でヒットはこの1本に終わっている。

「あの頃の自分のバッティングは、コース、球種に関係なく、全部のボールをレフトにもライトにも打とうとしていましたからね」

 いわば打席で“ダボハゼ”となっていた里崎が思考の転換を果たしたのは、翌'03年である。西武から移籍してきた原井和也に、打席での待ち方を教わった。前年に就任1年目の伊原春樹監督の下でリーグ優勝を経験した彼から、こう説かれる。

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photograph by Hideki Sugiyama

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